観光トラ騒動

【観光トラ騒動】昭和54年 (1979年)

 昭和54年8月2日の深夜から3日未明にかけ、千葉県君津市鹿野山の琳聖院神野寺から飼育していた2頭のトラが逃げ出した。通報を受けた木更津署は千葉県警機動隊のライフル隊、地元猟友会など200人を動員して捜索に入った。2頭のトラは裏山に逃げ込んだと見られるが、すぐ近くにはマザー牧場があり、牧場内で約30人の小学生がキャンプをしており、小学生は急遽建物内に避難した。また同じ敷地内にある鹿野山禅青少年研修でも約80人が宿泊していたが無事であった。周辺には約50の民家があったが、雨戸を閉め、家の中に閉じこもった。

 逃げたトラは体重80キロで、近くの山林で見え隠れしていた。猟犬を放しての追い出し作戦、エサを使っての誘い出し作戦を行ったが不発に終わった。木更津署は見つけしだい射殺する方針をとり、800人の警察官の人海戦術で包囲網をとった。時間が経つにつれ、空腹のトラがいらだっていることが予想された。

 翌4日の午前10時10分、猟友会のメンバーが1頭のトラを発見して射殺した。山口照道住職(65)は「トラを殺すとは最悪の処置であり、トラよりも人間の方がよっぽど凶暴だ」と発言し、この反省のない住職の発言に、捜索は一時中断したが、住職の謝罪によって2700人の捜索隊が再動員された。

 残り1頭はなかなか見つからず、住民を不安にさせたが、8月28日、寺から4キロ離れた民家から「飼い犬が殺された」の連絡を受け、山頂付近にひそんでいたトラを射殺した。

 神野寺は聖徳太子により建立、徳川家の菩提寺でもあり、左甚五郎や運慶の作による干支に関する宝物が安置してあった。このことからトラだけでなく、干支に関した、牛、馬、羊、猿、猪、などを飼っていて、「トラの檻は二重扉になっていて、何ものかによって開けられた」と住職は無罪を主張したが、昭和58年4月、拘留20日の刑を言い渡された。