種痘廃止

【種痘廃止】昭和51年 (1976年)

 天然痘のワクチンを種痘とよぶが、昭和45年頃から種痘による副作用が問題となった。昭和46年までに厚生省に届けられた種痘による死亡例は241例、後遺症は254例、治療中は148例であった。この数値は厚生省に届けられた数値で、実際にはその数倍と推定された。

 平成11年、生物テロを心配した米国政府が種痘禍の試算を行った。試算では、天然痘ウイルスによるテロが起きた場合、種痘により100万人当たり100人以上の重篤な副作用が発生し1人以上が死亡するとした。このことから日本の種痘禍の数値は妥当と考えられる。

 北海道・小樽で種痘禍が裁判で争われた。小樽保健所で集団種痘接種を受けたゼロ歳の子供が接種から9日目に突然高熱を発し、12日目から両下肢の不全麻痺をきたしたために損害賠償を求めての訴訟であった。1審の地裁は、種痘と副作用との因果関係を認めたが、2審の控訴審は子供の健康状態が禁忌者に該当せず、医師には接種を回避すべき義務がなかったと逆転敗訴となった。つまり「予診が不十分だったので後遺症が出た」と主張する原告に、その因果関係はないとしたのである。種痘禍裁判は最高裁まで争われ、四半世紀ぶりに原告勝訴となっている。

 厚生省は昭和51年6月、種痘禍の世論の高まりに押され予防接種法を改正して種痘の強制接種を廃止した。救済制度については死亡者330万円だったが、昭和51年に910万円、昭和52年には1170万円に引き上げた。

 種痘は天然痘の予防に大きな役割を果たしてきた。しかし昭和26年以降、日本では天然痘は発生しておらず、そもそも種痘は必要なかったのである。現実はそうであったが、法律は強制接種のままで、受けない場合には罰則規定が定められていた。法律そのものが時代遅れだったわけで、天然痘が発生していないのに種痘を漫然と行っていた行政に問題があった。伝染病を予防するはずの種痘が、副作用という大きなつめ跡を子供たちに残したのである。