日航機集団食中毒事件

【日航機集団食中毒事件】昭和50年 (1975年)

 昭和50年2月3日、コペンハーゲンに着いた日航のチャーター機で集団食中毒が発生し、乗客413人、乗務員1人がコペンハーゲンの病院に収容された。食中毒の原因は機内食を調理した料理人が指先にケガをしており、そこからブドウ球菌が混入したことによる。患者のほとんどは数日で退院したが、1週間後の2月10日、現地機内食責任者である桑原研治さん(52)が責任をとってピストルでこめかみを撃って死んでいるのが発見された。桑原さんは事故処理に連日忙しく働いていた。「食中毒の責任はすべて自分にある」という遺書があった。

 飛行機食による食中毒は極めてまれであるが、昭和51年3月3日、日航機でマニラから大阪へ帰ってきた飛行客151人中95人が腹痛、下痢の症状を訴え、2人が入院した。スチュワーデスも同じ症状を示したことから機内食による食中毒とされた。

 余談であるが、機長と副機長に出される食事の食材は違っている。それは地位の違いによるものではなく、同じ食事で食中毒を同時に出さないための配慮であった。このように航空業界は安全に気を配っている。なお乗務員の体調不良の中で最も多いのは食中毒とされている。