日本坂トンネル火災事故

 昭和54年7月11日、東名高速道路の日本坂トンネル(静岡県焼津市、全長2045m)の下り線、焼津側出口から480mのところで、トラックと乗用車が衝突、後続の自動車6台が次々に追突した。事故直後に漏れた燃料のガソリンに引火し、トラックの荷物の合成樹脂や揮発性油に燃え移り、トンネル内に煙が充満した。避難のため放置した車両173台が次々と炎上し、運転手たちはトンネルの灼熱(しゃくねつ)と煙で非常口を見失しなった。車両は65時間燃え続け、7人が死亡、3人が負傷する未曾有(みぞう)の事故となった。
 事故直後、トンネル入り口の電光掲示板に「火災 進入禁止」の表示が出ていた。しかしほとんどの車は止まらずに進入した。高速道路は非常時以外止まってはいけない、しかも止まれば追突される。前の車も止まらないし、掲示板は何かの間違いだろう。このような心理から、後続車が次々とトンネルに入っていった。そして前の車が止まったときにはすでに遅かった。数珠つなぎになった車が類焼し、車を捨てて逃げるのがやっとだった。
 日本坂トンネルは、東名高速道路では最も長いトンネルで、当時の道路公団は最新の消火設備を備え、トンネル内の安全性は世界最高と宣伝していた。だがこの日の事故には全く無力だった。消火後、トンネル内の車両の残骸(ざんがい)を片付けるのに10日間を要し、下り線が復旧したのは事故から60日後のことであった。
 当時、東名高速の交通量は1日約5万6千台で、乗用車が4割、トラックが6割だった。東海道の大動脈東名高速道路がいかに物流面で重要であったかが分かる。東名高速はマヒし、トラックは迂回(うかい)を余儀なくされ、貨物列車などの代替輸送が行われた。この日本坂トンネル火災事故の被害総額は約60億円で、道路では日本最大のトンネル事故となった。
 この事故をきっかけに、道路公団は消火栓やスプリンクラーの点検を行い、事故対策を強化した。さらに道路火災が発生した際には、火災発生地の市町村ではなく、インターシェンジの近くの消防署が消防車や救急車を急行させる体制に変えた。それまでは、インターシェンジのない市町村で道路火災があると、火災発生地の消防車がインターシェンジまで遠回りして駆けつけていた。さらに高速道路のトンネルには200m間隔で非常電話が設置されるようになった。
 現在、日本坂トンネルの入り口には大きな信号機があって、信号はいつも青になっているが、もし赤信号が表示されたらトンネル内での事故を考え、ハザードランプを点滅させ、停止しなければならない。
 トンネルでの自動車火災は珍しいものではない。昭和63年7月15日、広島県吉和村の中国自動車道の境トンネル(459m)で、大型トラックや乗用車11台を巻き込んだ追突炎上事故がおき死者5人、重軽傷者5人を出している。境トンネルは小規模トンネルだったので、排気ダストやスプリンクラーは設置されていなかった。現場は緩やかな下りカーブで、入り口から事故現場は見えなかった。建設省の高速道路のトンネル設置基準はAAからDまで5段階になっていたが、境トンネルはCランクで、スプリンクラーや排煙装置、テレビモニターは設置されていなかった。
 日本坂トンネル事故について、荷物やトラックを焼かれた運送業者らは日本道路公団に管理上の不備があったとして損害賠償を請求。平成2年3月、東京地裁の柴田保幸裁判長は、「公団による消防への通報の不手際、初期消火の遅れ、後続車への警告の不十分など、日本坂トンネルの安全体制は通常備えるべき安全性を欠いていた。この欠陥がなければ、延焼火災は発生しなかった」として、計約1億9000万円の支払いを公団に命じた。日本道路公団は控訴したが、平成5年6月、東京高裁は「初期消火が遅れ、消防通報やドライバーへの警告も不十分で、トンネルの安全体制に落ち度があった」として、1審同様、道路公団の責任を認め、総額約2億2000万円の支払いを命じた。
 日本坂トンネル火災から23年後に新たな悲劇が起きている。平成14年3月11日、川崎市宮前区にある日本道路公団東京管理局に男性が訪れ、応接室で総務課長代理の田中睦実さん(38)と同課員の2人にトンネル事故の補償問題を切り出した。男は補償要求を拒否されると、布袋からペットボトルを取り出し、田中さんらにガソリンをかけ、ライターで火を付け、田中さんは全身やけどの重傷を負った。男性はすぐに殺人未遂、現住建造物放火の現行犯で逮捕された。
 この男性は神戸市垂水区の六斉堂義雄(61)で、犯行直前にガソリンを購入し、日本坂トンネル事故で兄の車が燃えた損害補償の交渉にきたのだった。補償をめぐっての恨みが動機だった。六斉堂は、昭和63年に「補償として360万円出さなければダイナマイトでトンネルを爆破する」と同管理局に電話をかけ、県警に恐喝未遂容疑で逮捕された前歴があった。
 平成14年7月31日、横浜地裁川崎支部は六斉堂に対し、「青森県弘前市で起きた消費者金融放火事件にヒントを得た犯行で、相手は焼け死ぬかもしれないが、それでも構わない」という未必の故意による殺意として、懲役11年の判決を言い渡した。