日本初の試験管ベビー

日本初の試験管ベビー 昭和58年(1983年) 

 昭和58年3月14日、東北大学医学部産婦人科の鈴木雅洲(まさくに)教授は、日本初の体外受精に成功したと発表した。母親は30歳の女性で、両側卵管閉塞症のため結婚から9年間子宝に恵まれないでいた。今回、2度目の体外受精で受精卵の着床に成功、超音波検査で心拍動が確認されたため発表となった。東北大ではこれまで17人に体外受精を行い、17人目で初めての成功となった。

 日本で初めての試験管ベビーの成功は、同日の夕刊各紙のトップを飾った。世界中を騒がした試験管ベビーのルイーズちゃんが英国で誕生してから5年近くがたっていた。海外ではこの間に、11カ国で400人以上の体外受精児が誕生している。体外受精の技術は、海外ではすでに一般的だったので、日本初の試験管ベビーがいつ誕生するかが注目されていた。新聞各紙は、秋には東北大で試験管ベビーが誕生すると報じた。

 試験管ベビーというと、試験管の中で胎児を育てるイメージがあるが間違いである。試験管ベビーは「腹腔鏡で母体の卵巣から排卵直前の卵子を採り、培養液の中で卵子に夫の精子を受精させ、48時間から72時間後に子宮に戻す方法」のことである。受精卵が着床してからは通常の妊娠と同じである。つまり試験管ベビーは体外受精を意味している。

 卵管閉塞、精子過少症、排卵誘発剤などで妊娠できなかった夫婦が治療の対象で、不妊症全体の約半数に相当する。10組に1組とされる不妊症夫婦にとって、体外受精は画期的な治療法であった。セックスでは1回の射精で1億個の精子がなければ受精できないが、体外受精では精子の数は5万個あれば可能だった。不妊症の1つである男性の精子過少症にも有効な治療法であった。

 この試験管ベビーのニュースは、明るい話題として迎えられるはずであった。しかし人間の生命に人的操作を加えることから、試験管ベビーの是非については多くの議論があった。試験管ベビーを、生命倫理の観点からナチスの医学実験に匹敵すると非難する者もいた。

 宗教界からも神を冒涜(ぼうとく)する行為、自然の摂理への挑戦との声が上がった。子供は、神からの授かりものとする従来の考えと、生殖技術の進歩で解決できるとする考えが正面からぶつかり合った。

 さらに奇形児出産のなどが危惧された。通常ならば、1億個の精子の競争に勝った1精子によって受精卵になるが、競争という淘汰(とうた)のない精子が奇形を引き起こすと心配された。しかし海外の体外受精児約400例では、心臓奇形が1例だけで、奇形率は自然分娩児よりむしろ少ない頻度であった。

 昭和58年10月14日午前6時35分、周囲の期待とともに日本初の試験管ベビーが、東北大医学部付属病院で誕生した。その日の新聞、テレビはこのニュースを一斉に伝えた。新生児は帝王切開で生まれ、体重は標準より小さめの2544グラム、身長44センチの女児であった。この出産は、文字通り明るいニュースとなった。試験管ベビーをめぐる重苦しい雰囲気を吹き飛ばす勢いがあった。

 試験管ベビーの誕生に際し、一番心配されたのがプライバシーであった。夫婦はマスコミに出ることを嫌い、静かに見守ってほしいとの手記を発表した。ところが全国紙の中で、毎日新聞だけが両親の住所や氏名、家庭の状況までを新聞に掲載したのだった。毎日新聞は「実名報道を行ったのは、この明るいニュースに際し、今後生まれてくる試験管ベビーが特別な扱いを受けないようにするため」と弁明した。しかし、周囲からは実名報道に批判と抗議が殺到した。またプライバシーを守れなかった東北大産婦人科にも批判の声が集中した。鈴木教授は家族の氏名が明らかになった以上、患者の容体を発表することは守秘義務違反に触れるとして、途中から患者の容体の発表を中止。さらに試験管ベビーの経過について予定していた学会での発表を取りやめた。

 試験管ベビーの夫婦は、退院後も自宅に帰らず、住所を変えてしまった。体外受精第1号の赤ちゃんは、2年後に急性肺炎で死亡したが、同じ母親による第2子が昭和61年5月に生まれ、元気に育っている。

 鈴木教授は退官後、宮城県岩沼市で不妊症専門の「スズキ病院」を設立。当時、全国の約半数の試験管ベビーを生み出していた。現在では体外受精は一般的となり、専門の医療機関で行われている。

 生殖医療は進歩し、排卵誘発剤で卵子を採って、複数の受精卵を子宮に返すことが行われている。体外受精卵を凍結保存して、妊娠しやすいときに子宮に戻す方法も開発されている。さらに技術が進み、顕微鏡で固定した卵子を見ながら、ガラス針を通して精子を送り込む顕微鏡受精法では、たった1個の精子からも妊娠を可能にしている。

 体外受精で生まれた子供は世界では400万人とされ、体外受精の技術を開発した米国のロバート・エドワーズは医学生理学賞を受賞している。日本では保険適応外の治療なので、その実数は明確ではないが、平成8年までに体外受精で2万7261人の赤ちゃんが生まれ、最近では、赤ちゃんの100人に1人が体外受精で生まれているとされている。このように体外受精は一般化しているが、その妊娠率(着床率)は、20代で70%、30歳前半で60%、30歳後半で40%と、若い女性ほど成功率は高い。

 わが国の体外受精は法律上、結婚している夫婦に限られている。しかし米国では、ほかの女性の子宮を借りて夫婦の受精卵で妊娠させ、出産してもらう代理母が認められている。

 生命とは何か、受精卵を生命とするのか、子宮に着床して初めて生命とするのか、法的解釈はまだ未解決のままである。さらに受精卵の凍結保存中に両親が離婚したり事故死した場合、試験管ベビー(受精卵)を持ち去られた場合、誘拐罪になるか窃盗罪になるか、このような議論がなされている。