従業員相手の保険金殺人

従業員相手の保険金殺人 昭和52年(1977年)

 昭和52年から53年にかけ、従業員などに生命保険を掛け、連続殺人で数億円をだまし取る事件が起きた。この事件は、日本の保険金殺人史に残る凶悪な犯行であった。主犯の長崎正恭は、20歳のときに愛知県豊川市で運送業を始め、43歳で従業員10人の「愛知宝運輸」の社長となった。その後、会社の経営は順調に伸び、従業員数は40人に増え、青年事業家として地方新聞に登場することもあった。

 だが順調だった経営は、昭和48年のオイルショックでつまずいた。所詮、愛知宝運輸は零細企業にすぎず、2300万円の借金、銀行の貸し渋りで経営は追い込まれていた。このままでは倒産は確実だった。長崎正恭は専務の小谷良樹、常務B、知り合いの暴力団関係者らと、倒産から逃れるために保険金殺人を企てた。交通事故の補償を名目に従業員を生命保険に入れ、融資先の人物にも融資の担保として保険金を掛け、保険金殺人で一獲千金を狙うことにした。

 最初に狙われたのは、静岡県磐田市のバッタ屋A(67)であった。昭和52年8月、長崎はAを知り合いのバー「ニューマドンナ」に連れて行き、ママの和佐田春江を紹介して親密な関係にさせた。その上で、「保険に入れば融資する。保険金はこちらで立て替える」と言って、1億2000万円の生命保険に加入させた。受取人は長崎と暴力団組長の愛人である和佐田春江だった。

 保険加入から2カ月後、暴力団組長はAをだまして浜名湖に連れ出し、車ごと浜名湖に突き落とそうとした。しかし通行人に騒がれ失敗。次に、別の暴力団員がAを同乗させた車をがけに衝突させ、Aを車外に引きずり出して鉄棒で殴ったが、偶然にも対向車が来たため、Aは1カ月の重傷を負っただけだった。Aは長崎らの狙いに気付き、磐田市内の病院に身を隠した。

 次に狙われたのが、愛知宝運輸と取引のあった食品会社の杉浦一造社長(43)だった。食品会社の年商は4億円だったが、韓国から輸入した朝鮮漬けの販売に失敗、3億円の負債を抱えていた。長崎は杉浦社長に数千万円を融資、融資条件として2億1000万円の生命保険に加入させた。加入から2カ月後の昭和52年10月4日、杉浦社長は飲酒運転による交通事故で死亡。もちろん杉浦社長の事故は見せかけで、大型トラックで杉浦社長の車を押し出すように、崖から転落させたのである。長崎らは保険金2億1000万円のうち1億3000万円を受取った。

 第3の犯行は、昭和53年7月30日に起きた。愛知宝運輸のトラック運転手・中根喜久夫さん(18)が海で水死、保険金1億円が支払われた。酒を飲んでおぼれたとされたが、中根運転手は泳げず、酒も好きでなかった。無理やり酒を飲まされ、ボートで沖に連れて行かれ、突き落とされたのである。警察は保険金殺人に気づかなかった。

 第4の犯行は、昭和53年8月、バー「ニューマドンナ」に放火、ママの和佐田春江(55)を焼死させた。この放火で長崎の妹が保険金1億8000万円を受取った。

 これらの保険金殺人が判明したのは、最初に命を狙われたバッタ屋Aが詐欺罪で警視庁に逮捕され、「わしは小悪人だ、愛知県には億単位の保険金をせしめた大悪党がいる。わしも2度殺されるところだった」としゃべったことによる。警視庁が愛知県警に問い合わせると、Aの話しは本当で、以前から愛知宝運輸では経営が悪化すると社員が死ぬとうわさされていた。

 愛知県警と警視庁は合同捜査体制を敷き、昭和54年4月9日、関係者8人を一斉に逮捕した。しかし主犯の長崎と小谷は警察の動きを察知、3万ドルを持って大阪空港から台湾に逃亡した。2人は当時盛んだった台湾買春ツアーの常連で、数次旅券を持っていた。台湾の知人からブラジルでの農場経営を勧められブラジルへ高飛びしたが、航空券のチェックから2人がブラジルのサンパウロに潜んでいることが判明。身の危険を感じた2人は、サンパウロから2000キロ離れた小さな町で民家を借りて潜伏した。しかしブラジル警察は隠れ家を急襲、銃撃戦の末、2人を射殺した。

 愛知県警の調べでは、長崎正恭は愛知宝運輸の従業員全員に平均4000万円の生命保険を掛けていた。従業員には健康診断と偽り、検査や診察を受けさせ、本人の承諾なしに団体保険に加入させていた。彼にとって、保険金殺人ほどボロい商売はなかった。

 従業員に保険を掛けて殺害する手口は意外に多い。昭和59年5月5日午後10時50分ごろ、北海道夕張市の炭鉱下請け会社「日高工業」の作業員宿舎から出火。焼け跡から従業員4人、子供2人の焼死体が見つかった。夕張消防署は、「ジンギスカン鍋の火元の不始末が原因」と断定、社長の日高安政(41)と妻の信子(38)は火災保険と従業員の生命保険金1億3800万円を手に入れた。

 しかしこの火事で重傷を負い、入院治療中だった暴力団員・石川清(24)が突然失踪、夕張署に出頭してきた。石川清は、「日高夫婦が保険金目的で放火を計画、自分が実行犯であるが消されるのが怖いので名乗り出た」と自供した。そのため夕張署は日高と信子を放火・殺人・詐欺の疑いで逮捕した。

 日高夫婦は、「炭鉱の仕事には将来がない。札幌にデートクラブをつくるため、資金目的で宿舎の放火を計画した」と自供。日高夫婦は従業員の石川清に500万円を渡して放火を依頼。石川は従業員が就寝したのを確認して1階の食堂にライターで火をつけた。この間、日高夫婦はアリバイをつくるため、近くの飲食店で飲食していた。彼らは保険金1億3800万円のうち、逮捕までの1カ月で1億円を使い果たしていた。

 札幌地裁は昭和62年3月、実行犯の石川清に無期懲役、日高夫婦に死刑判決を言い渡した。夫婦の死刑は戦後初、女性としては戦後3人目だった。

 生命保険は家族が万一の事態に備えて掛けるものであるが、生命保険会社の過当競争から、会社の従業員や知り合いに生命保険を掛けられるようになった。日高夫婦は会社の経営のため、自分の贅沢のため、他人を殺害して金銭を得ようとした。生命保険金殺人は、その計画性、その悪知恵、その動機から、当然のことながら極刑に値する。