川崎コレラ騒動

【川崎コレラ騒動】昭和53年 (1978年)

 昭和53年3月29日、横浜港検疫所の定期海水調査で、海水からコレラ菌が検出された。川崎市はコレラの汚染源を調べるため、流入河川である鶴見川をさかのぼり調査を始めた。この事件は、被害者も死亡者も出なかったが、河口から上流を調べるたびにコレラ菌の発見が報道され、報道は次第に過熱していった。新聞社は取材用ヘリを飛ばし、緊張感あふれる報道を演出した。調査の結果、川崎市高津区にある腎臓透析専門医院・石川クリニックの浄化槽が汚染源であることがわかった。

 浄化槽には透析液が捨てられていて、透析液は栄養が豊富で、温度もコレラ菌の増殖には最適であった。浄化槽の廃液が有馬川から鶴見川を汚染し、横浜港までコレラ菌が到達したのだった。来院した患者がコレラ菌を持ち込んだと推測された。

 昭和53年頃から海外旅行者が増加し、コレラ汚染地域への旅行者が増え、現地でコレラ菌に感染して帰国後に発症する事例が相次いだ。この年には73人の患者、保菌者が発見され隔離された。コレラは恐ろしい感染症とのイメージから報道は過熱したが、たとえコレラに感染しても死亡することはほとんどない。

 今回の事件では被害者はいなかったが、石川クリニック院長は平身低頭の謝罪を繰り返した。しかし、コレラの健康保菌者の入国を防止することはできず、この騒動で一番被害を受けたのは、石川クリニックだったのかもしれない。

 鶴見川は川崎と横浜の間を流れる川で、この事件をきっかけに全国の河川でコレラの定点観測が始まった。この事件以降、全国の河川からコレラ菌が検出されているが、騒動には至っていない。