岐阜大胎児解剖事件

【岐阜大胎児解剖事件】昭和59年 (1984年)

 昭和59年5月23日、福岡市で開催されていた日本精神神経学会で、岐阜大医学部精神科の高橋隆夫助手が「岐阜大で人体実験が行われている」と内部告発を行った。告発によると人体実験を行ったのは岐阜大医学部精神科・難波益之教授のグループの竹内巧治助手であった。

 竹内助手は私立病院に通院中の統合失調症の患者(35)を大学病院に入院させ、本人の同意のないまま中絶手術を行い、胎児の脳を解剖し、患者が内服していた向精神薬(ハロペリロール)が脳のどの部分に分布しているかを調べていたのである。

 この問題は国会でも取り上げられ、日本精神神経学会も調査に乗り出すことになった。そして昭和61年5月20日、日本精神神経学会は研究を目的とした人体実験との最終見解を出した。

 当時、全国の精神科は東京大精神科のインターン闘争の影響で、患者不在、責任者不在、イデオロギー先行の治療などの問題がくすぶっていた。同じ大学の教授派と助教授派が衝突し、学会総会で演者の発表中に、同じ医局の医局員がヤジを飛ばす時代であった。