妊娠診断薬

【妊娠診断薬】昭和58年 (1983年)

 昭和58年、ロート製薬は米国から輸入した妊娠診断薬「チェッカー」を薬局で発売することにした。発売前から、妊娠の有無を素人でも判断できると話題を呼んでいた。

 しかし日本母性保護医協会(日母)からクレームがついた。その理由は「医療行為につながる試薬を薬局で市販するのは危険を伴う」ということであった。厚生省もまた「医療用として認可されたものを店頭で発売することは間違っている」と述べ、行政指導に乗り出すことになった。ロート製薬は、結局、店頭での販売を中止とした。

 妊娠すると、胎盤でつくられる性腺刺激ホルモンである絨毛性ゴナドトロピン(HCG)が、尿中に排泄される。妊娠診断薬は少量の尿をHCG抗体と混ぜて反応をみるごく簡単なものである。妊娠している場合には試験管内に褐色のリング状の沈殿が生じるようになっていた。妊娠7週では100%陽性で、欧米では薬局の店頭で簡単に買うことができた。

 日母の主張は、この診断薬は子宮外妊娠やブドウ状奇胎、切迫流産の場合にマイナスになる場合があるので、素人が使うには危険ということであった。しかし陽性で妊娠が分かれば病院へ行くだろうし、陰性であっても腹痛があれば病院へ行くのだから、日母や厚生省の主張は説得力に欠けていた。

 病院で妊娠反応を調べれば約8000円になるが、市販のチェッカーならば2800円であった。この反対運動や厚生省の指導は、産婦人科医の商売のためとの声が大きかった。

 日母や厚生省の考えは、理屈の上では正しいが、時代は変わったのである。昭和61年6月、ライオンは妊娠診断薬「プレディクターカラーD」をオランダから輸入し、薬局の店頭で発売した。プレディクターカラーDは、生理が4日遅れたころから使用でき、ヒト胎盤性性腺刺激ホルモンに対してのみ反応する。起床時の尿を3滴試薬にたらして、3分間放置すると試薬の色の変化で妊娠が判定できた。値段は当時3500円であるが、この販売以降、数種類の妊娠診断薬が店頭で販売されることになった。