夕ぐれ族

夕ぐれ族 昭和57年(1982年)

 昭和57年1月、東京の銀座に愛人紹介業の「夕ぐれ族」が出現、愛人バンクのハシリとして話題を集めた。「夕ぐれ族」のシステムは、男女から入会金を取って会員同士の交際を仲介することである。「夕暮れ族」は金持ちのおじさんと、安アパートから脱出したい若いギャルとの出会いの場の提供であった。

 この「夕暮れ族」の名前はすでに流行語になっていた。それは4年前に吉行淳之介が小説「夕暮れまで」を書きベストセラーになっていたからである。小説の内容は50歳の妻子ある中年男性と22歳の処女にこだわるOLの情事を扱ったものであるが、この小説により男性50歳プラスマイナス5歳前後、女性は22歳プラスマイナス1歳のカップルを、羨望を交えながら「夕暮れ族」と呼ぶようになった。

 「夕暮れ族」がマスコミの脚光を浴びたのは、社長の筒見待子(22)が港区生まれの商社役員の娘で、有名女子大・国文科出身の風俗とは縁遠い可愛いロリータ顔だったからである。「夕ぐれ族」はテレビ朝日の深夜番組「トゥナイト」で何度も紹介され、中年男性にある種の幻想を抱かせた。水商売とは縁のない容貌の筒見待子が事務所の電話番号を書いたTシャツを着てテレビ番組に出演して人気を得ていた。夕暮れ族は結婚相談所と同じもので、他の結婚相談所と違うのは、中年男性と若い女性の橋渡しをすることで、特定の相手を紹介するだけなので売春ではないと強調した。

 男性の入会金は20万円、女性は10万円以下だった。入会時に交際相手の希望を聞いて、適切な相手を電話で紹介し、話がまとまらなければ、3ヵ月間は何度でも紹介するシステムであった。「愛人契約」は当人同士の話し合いによるが、男性は月4回のデートで12万円から30万円を払っていた。事務所は連日愛人志望の若い女性であふれ、事務所に入りきれずに喫茶店で待機してもらうほどだった。女性からも入会金を取っていたということは、女性の入会者がいかに多かったかがわかる。

 筒見待子はこれまで3200組のカップルを成立させ、男性の入会金だけでも6億4000万円に達すると公表し、マスコミは「風俗界の松田聖子」と持てはやした。この繁盛ぶりに都内では類似の愛人バンクが急増し、その数は警視庁の調べでは約50店、実際には300店以上とされた。筒見待子は専門弁護士を雇い、法的対策もぬかりがなかった。

 警視庁は「夕ぐれ族」を苦々しく思いながら、売春防止法の周旋にあたるかどうか決めかねていた。しかし夕ぐれ族にとっては致命的な事件が起きた。昭和57年8月29日、夕ぐれ族の事務所の窓ガラスが割られ、現金20万円と会員名簿が盗まれ、そして泥棒は会員名簿を3000万円で買い取れと会社を恐喝したのである。指定された場所に事務員が出向き、現れた泥棒を事務員が取り押さえ警察に突き出した。

 警視庁はIカ月前から「夕ぐれ族」を売春防止法違反で内偵していて、会員名簿が調べられ、女性会員に複数の男性が紹介され、複数の男性からお金を受け取っていたことが判明した。そのため警視庁は女性社長・筒見待子ら従業員2人を売春防止法違反で逮捕した。

 筒見待子が逮捕されて、本名が鶴見雅子(25)であること、学歴は都立高校定時制卒であることがわかった。筒見待子は隠れ蓑的な存在で、実質的な社長は窪田保夫(53)であることがわかった。筒見待子は窪田保夫の操り人形、単なる広告塔であった。

 彼らの商売は結婚斡旋を隠れ蓑にした売春斡旋業者であった。彼らが逮捕されたのは、マスコミで派手な宣伝を繰り返し、警視庁を刺激したからで、実際の会員は女性453人、男性382人で、女性は大学生やOL、保母、看護婦が多く、3人に1人が未成年だった。女性の入会の動機は、旅行費用のため、洋服を買いたいなどだった。筒見待子は懲役1年・執行猶予3年、窪田保夫には懲役2年執行・猶予3年の判決が下された。

 筒見待子は有罪となったが反省の色を見せなかった。彼らは「新・夕暮れ族」をつくり客が集まらずに失敗すると、さらに「スポンサーバンク」をスタートさせた。「スポンサーバンク」とは「無担保で3000万円以上を出資するスポンサーを紹介する」新たな商法で、広告を雑誌などに掲載して客を集めた。客には「スポンサーは何億円出してもよいといっている」などとウソの説明をした。何せ筒見待子の知名度は高く、この知名度を利用しての詐欺であった。被害者は不動産業者や歯科医ら全国で250人、被害総額は3億5000万円にのぼった。そして平成6年7月13日、筒見待子(37)と窪田保夫(53)は逮捕され、東京地裁は筒見に懲役1年6月、窪田に懲役3年6月の実刑判決を下した。

 昭和58年はノーパン喫茶、のぞき部屋、デート喫茶、ヌード喫茶、ホテトル、マンテルなどの新しい風俗が次々に出現し、テレビの深夜番組で紹介された。ノーパン喫茶からはイブちゃんというアイドルが生まれ、ファンクラブができ映画にもなった。テレビは新しい風俗を明るく紹介し、それまで陰の存在であった性風俗を茶の間へ送り込んだ。テレビが性風俗の垣根を低くして、若い女性の性意識を変えていった。そして愛人バンクはテレホンクラブ、援助交際へと移行していった。

 若い女性は自分の性を商品化し、それを売り出すことに抵抗感がなくなっていった。この若い女性の性意識の変化は、現在もさらに進行中で、かつて日本女性の貞操観念は死語に近づいている。売春は「男性がいたいげな女性の性を買う身勝手な行為のイメージ」があった。しかし売春に対する女性の罪悪感は少なく、単なる経済活動ととらえるようになった。売春は「貧困からの脱出ではなく、贅沢な生活のための活動」と大きく変化したのである。

 平成9年頃から援助交際という言葉が流行し、大衆はこの造語を売春の代名詞として自然に受け入れたが、援助交際という言葉は「夕暮れ族」が最初に使った言葉であった。このように現在の性風俗の下地を作ったのは「夕暮れ族」だったといえる。その意味で、この事件は時代を象徴するものであった。