十全会株買い占め事件

十全会株買い占め事件 昭和54年(1979年)

 京都の医療法人「十全会グループ」とは巨大な医療組織で、赤木孝が理事長を勤める十全会精神科・京都双岡病院と、静江夫人が理事長である「十全会」系列のビネル病院、東山高原サナトリウム、さらに医薬品を扱う関西薬品、病院内の給食を扱う関西食品など20の子会社と5団体で構成されている。

 昭和53年度の医療法人の所得申告額は、十全会精神科・京都双岡病院が全国1位で27億1000万円、十全会が2位で20億4000万円、夫婦合わせて47億5000万円の収入だった。業界3位の徳州会が6億円だったことから、十全会グループの所得がいかに巨大であったか想像できる。この医療グループの所得金額を見れば、医は仁術という言葉は吹き飛び、医はまさに算術といえた。

 この医療法人「十全会」が百貨店業界の名門・高島屋の2300万株を買い占め、筆頭株主になった。この他、宝酒造の株も買い占め、売却にて約20億円の利ザヤを稼いでいた。医療に専念すべき医療法人が株を買い占めていることが、医療法に違反すると批判され、厚生省は昭和54年2月に行政指導を行った。その後、朝日麦酒(現アサヒビール)の発行株の23%に当たる4600万株を100億円以上で購入していたことが判明。証券会社は株式市場を妖怪がうろついていると表現した。十全会の株買い占めは、営利目的の病院の儲け主義を象徴していた。

 十全会グループの赤木理事長は大正12年生まれで、岡山医学専門学校を卒業すると、京都で進駐軍のダンスホールを買い取り、東山サナトリウムを開設した。当時は結核患者が多く、治療はほとんどが公費負担だったため、病院は増築を繰り返し大きくなった。昭和30年代になって結核患者が減少すると精神病院に切り替えた。

 しかし昭和45年、「十全会を告発する会(代表=嶋田啓一郎同志社大教授)」が精神科の入院患者を虐待したとして3人の医師を告発した。「医療活動の名の下に、営利を第1として、患者の基本的人権を無視した極めて悪質な行為」として傷害致死、監禁致傷、監禁傷害で告発した。

 この虐待告発が報道されると、十全会は世間の評判を落とし、病院側は告発する会を名誉棄損で訴えたが、大阪高裁は昭和55年9月、病院の治療を不当とする判決を下した。

 70歳以上の老人医療が無料になると十全会は老人医療に転換、十全会グループは近県の福祉事務所と連絡を取り、寝たきりで家族が困っている老人を集めて入院させた。結核病院、精神病院、老人病院は、一般病院に比べ人件費が安く済んだ。

 老人医療は無料だったが、出来高払いだった。薬剤を使えば使うほど、検査をすればするほど儲かる仕組みになっていた。事実、治療費月170万円の患者を筆頭に、高額医療の患者が多く入院していた。職員のほとんどはパートで、十全会は医療制度のおいしい部分をうまく利用して巨額な利益を上げていた。

 京都府衛生部の調べでは、昭和48年1月から9月にまで、京都府の14の精神病院で死亡した患者は937人であったが、そのうち91.7%の859人が十全会グループの患者だった。さらにその内の781人が入院から1年以内の患者だった。京都府の14精神病院に入院している全患者数は5286人で、十全会系3病院に入院しているのは2124人(40.2%)だったことから、十全会系3病院の異常に高い死亡率が浮かび上がった。このことは国会でも取り上げられたが、事実関係はうやむやのまま終わった。十全会系病院は老人処理工場とうわさされ、老人の人権を侵害していると非難されたが、厄介な老人を入院させていたので家族からの苦情はなかった。

 当時、医療機関は儲かっているという国民的感覚があったが、医療機関は金儲けとは無縁とする建前がまだ残っていた。しかし十全会グループの株買い占め事件は、医療現場から100億円以上の資金が経済活動に使われ、この病院の儲け主義に国民は驚き、医療そのものに違和感と不信感を目覚めさせることになった。

 昭和55年12月、京都府は十全会の3病院に医療監査に入った。厚生省、警察庁、国税庁は「医療に関する3省庁連絡会議」を設置して、十全会グループを調査した結果、病院が赤木一族や関連会社から不動産を62億円、市場価格の6割から8割増しの値段で購入し、病院から赤木一族に金が流れる仕組みになっていた。十全会グループは医療法人とトンネル会社を利用して、計画的に収益を操作していた。

 京都の医療法人「十全会グループ」は、理事長ら同族経営者が総退陣、買い占めた株式の処分、土地取引の精算などで決着したが、この事件は医療機関への国民のイメージを大きく変えることになった。