医師優遇税制廃止

医師優遇税制廃止 昭和52年(1977年)

 医師優遇税制は、昭和29年に設けられた。当時はまだ日本経済は混乱しており、保険料の滞納が多く保険財政は赤字続きだった。そのため国の診療報酬の支払いが遅れがちになっていた。日本はまだ貧乏で、医療費を払う余裕が、政府にも、保険組合にも、患者にもなかった。終戦直後のインフレで物価は上がり、診療報酬は昭和23年以来6年間据え置かれ、開業医の生活は苦しく不満が大きかった。

 この不満を解消するため、医療財源のない政府は、「診療報酬の単価を据え置いたまま、開業医の税金をまける政策」を出したのである。つまり医師優遇税制は「開業医の必要経費を高く設定して、実際の収入を高くする政治的妥協の産物」であった。開業医に支払う医療費を低く抑えながら税金をまける方法で、具体的には、開業医は保険診療で得た収入の72%を必要経費、残りの28%に課税する方法であった。

 この医師優遇税制は、武見太郎が吉田茂首相の診察のために大磯の吉田邸に行った際、偶然に池田勇人蔵相と会い、その場で決められたものである。当時の武見太郎は日本医師会の会長になる前で、日医の役職についていなかったが、「医師の診療報酬が据え置かれているのは不公平」と池田蔵相に談判、池田蔵相は、「診療報酬を上げない代わりに税金をまける」ともちかけたのである。必要経費72%、課税分28%は、武見太郎と池田蔵相が酒を飲みながら決めた数値で、何の根拠もなかったが、池田蔵相が決めた数値に大蔵省官僚は反対できなかった。

 開業医にとってこの税制のメリットは大きかった。それは増収だけでなく、税務処理の煩わしさからも逃れられたからである。収入の28%が課税分と決められたので、煩雑な計算をしないで診療に専念できた。この控除がなければ、開業医は商店並みに青色申告をしなければならなかった。

 昭和36年に皆保険制度が始まると、患者が急増し、開業医の収入も増えていった。日本医師会は「国民皆保険を医療統制」と反対したが、国民皆保険によって患者は増え、医師は儲かる商売となった。当時、銀座のクラブ、外車、ゴルフ場会員権、毛皮のコートと言えば、必ず医師を連想していた。医師の生活は豊かになり、高額納税者の上位が医師で占められた。

 このように医師が裕福になると、医師優遇税制が不公平税制の典型と非難され、世論の風当たりが強くなったが、日本医師会はこの28度線を死守しようとした。医師優遇税制が20年以上も継続できたのは、日本医師会の政治力が強かったからである。武見会長が政治家と行政ににらみをきかせ、保険医総辞退、学校医総辞退を武器に医師優遇税制を存続させたのである。武見太郎の前では、自民党や官僚は手が出せず、医師優遇税の難攻不落の時代が続いた。

 しかし昭和47年になると、会計検査院が開業医の必要経費を調べ、実際の必要経費は52%と発表した。72%から52%を差し引いた20%が税制上優遇とされ、開業医1人当たり年間700万円が免税されているとした。このことから医師優遇税は税制改正の度に必ず取り上げられ、不公平税制の典型とされた。

 昭和49年10月4日、政府税制調査会(東畑精一会長)が医師優遇税制の見直しを求める答申をまとめ、田中角栄首相に提出。東畑会長は世論を味方に「医師優遇税制を変えるべき」と主張した。このことから「医師の技術料を高く評価する代わりに、医師優遇税制を改正する方向」に傾いた。

 昭和49年11月に田中内閣が金脈問題で退陣すると、椎名裁定で三木武夫首相が誕生。三木首相は政権の課題として社会的不公平の是正を掲げ、医師、政治家、僧侶の不公平税制を槍玉にあげ、特に医師優遇税制は三木内閣の象徴的政策課題となった。

 昭和52年11月、国税庁長官が医師優遇税制は不公平税制であると表明、その是正に乗り出す姿勢を示した。当時は増税が予定されていて、その前に不公平税制の是正が叫ばれていた。次の福田内閣でも、福田赳夫首相が大蔵省出身だったこともあり、医師優遇税に厳しい姿勢を示した。福田首相は昭和53年2月、医師優遇税の是正を国会で約束。日本医師会は反対したが、診療報酬引き上げと引き替えに同意することになった。

 あまりに医師が裕福になりすぎたため、日本医師会が何と言おうと国民への説得力に欠けていた。マスコミも医師の金儲け主義を批判し、政府、自民党の決定を容易にさせた。このような経過で、昭和29年から24年間継続した医師優遇税制は、昭和53年に改正された。

 この改正によって保険診療報酬収入が2500万円以下は必要経費72%に据え置かれ、順次3000万円までは70%、4000万円までは62%、5000万円までは57%、5000万円以上は52%と5段階方式になった。入院施設を持たない開業医の収入の大部分が2500万円以下だったことから、実際には妥協の産物と評価された。しかしこのころから日本医師会の政治力は低下し、昭和63年の税制改革では、険診療報酬5000万円を超える医師の特例が廃止になった。

 このように医師優遇税制は消滅したが、昭和27年に設けられた事業税の非課税措置は現在も継続されている。事業税の非課税が、今後どのようになるのか注目すべきであろう。