ポカリスエット

 昭和55年4月1日、大塚製薬から「ポカリスエット 」(250mL、120円)が発売された。ポカリスエットは、これまでの清涼飲料や栄養補給飲料とは異なる新しいタイプの健康飲料水で、発汗により失われた水分と電解質をスムーズに補給することをうたっていた。ナトリウムやカリウム、カルシウムなどの電解質が身体の体液に近いバランスで含まれ、体にやさしいイオン飲料水と宣伝された。このポカリスエットの発売は、飲料水を「おいしさ志向から、健康志向」へと大きく転換させることになった。
 大塚製薬はすでに「オロナミンC」(昭和40年)を発売していた。オロナミンCの開発は注射薬の研究過程で生まれたビタミンCのシロップがきっかけで、シロップの味をもとに注射用の120ccの瓶に入れて売り出し大ヒットした。
 ポカリスエットの開発は思わぬことから始まった。昭和48年、開発研究員の播磨六郎(後の大塚食品会長、平成11年11月死去)がメキシコ出張中に激しい下痢を起し、現地では生水を飲めず、医師から大量のトニックウオーターを飲むよう勧められ、この体験から、もっと身体に合った吸収のよい飲み物はできないかと考えたのが開発のきっかけとなった。より人間の身体に合った、吸収のよい飲み物の研究に着手したのだった。
 実際に飲料水を飲んで血液を調べると、水道水、生理食塩水、5%ブドウ糖溶液よりも、塩分と糖の両方を含んだ飲料水の方が吸収は早く、血液量が増すのだった。小腸からの水分吸収に塩分と糖が関与していたからである。
 成人の身体の約60%が水分で、水分にはナトリウムなどの電解質が含まれている。通常の生活では、1日当たり2500mLの水分が汗や尿として排出され、排出されると自然にのどが渇き、水が欲しくなる。ところが水分を取る場合、真水だけでは体液が薄まるだけで渇きを癒やすことはできない。特にスポーツで汗をかく場合、汗の量が体重の2%までならば真水でもよいが、それ以上になると血液が希釈されて電解質濃度が低下する。夏のスポーツ時に起きやすい熱中症は、脱水と同時に電解質の低下が原因とされ、熱中症の予防には水分の補給よりもイオン飲料水が効果的であった。
 点滴注射薬(輸液)のトップメーカーである大塚製薬は、もともとブドウ糖液、生理食塩液、電解質輸液を製造していた。この輸液のノウハウをもとに「飲む点滴液」への応用が進められた。スポーツ飲料として、下痢などでの水分補給のために、「飲む点滴液」の開発を目指したのである。
 ドリンクの成分は点滴と同じように電解質をバランスよく含むようにした。大量の汗をかいたとき、汗ばむ程度のとき、それぞれで失われる電解質は異なるが、その成分を検討して、より吸収しやすい飲料水を試作した。
 播磨六郎ら開発チームは、徳島の研究所の近くにある眉山に何度も登り、毎日のようにサウナに通い、汗をかいては試作品を飲み、飲み心地や後味などを調べた。この研究で1000点以上の試作品から、最終的に数種類に絞られ、最後に残った課題は味であった。社内で「うまい」と言ったのは、播磨と当時の大塚明彦社長の2人だけだった。ようやく販売が決まったのは、研究から2年半後のことだった。
 ポカリスエットが発売されると、口にした人たちからは、「なに?これ!」「まずい!」という声が聞かれたが、その反応には新しい味への驚きによるものだった。ポカリスエットのネーミングは、ポカリは特別な意味はなく、語感が軽くて明るい響きをもつため採用された。スエットは汗のことで、身体と水分の関係を象徴させる言葉として用いられた。変わった名前であるが、1度聞いたら忘れないネーミングの良さがあった。
 当時の清涼飲料は、12%程度の糖分を含んでいたが、ポカリスエットはその半分の6.2%で、甘くもなく辛くもなく新しい飲料水だった。当時、清涼飲料水の缶の色はなぜか青以外だったため、青色の缶のポカリスエットは新鮮に受け止められた。ポカリスエットの売り上げは昭和55年に90億円、平成10年には1600億円とロングヒット商品とになっている。
 ポカリスエットは時代に合わせ、宣伝のキャッチフレーズを変えている。発売から4年間は「アルカリイオン飲料」、59年から3年間は成分が体液に近い意味で「アイソトニックドリンク」、61年からはイオンを供給するという意味の「イオンサプライ」であった。さらに平成元年には、飲めば体と気持ちがリフレッシュされるとして「リフレッシュメント・ウオーター」、6年から14年までは「ボディ・リクエスト」、14年からは「イオン・サプライ・ドリンク」となっている。このようにキャッチフレーズは変わったが、ポカリスエットの中身は変わっていない。
 ポカリスエットのスポーツドリンクのシェアは、平成12年までは5割を超えていたが、14年に「アクエリアス」(日本コカ・コーラ)が5440万箱で1位、ポカリスエットは4590万箱の2位となった。ちなみに3位は「DAKARA」(サントリー)の2180万箱、4位がオロナミンCの1860万箱だった。清涼飲料は年間1000種類近い新商品が登場しているが、その3分の1は1年を待たずに消えてしまう。その中で、ポカリスエットは発売から25年たっても新鮮さを失わず、スポーツドリンクの定番を守り続けている。
 ところで多くの医師はポカリスエット500mLの値段が300円なのを知っているが、同じ大塚製薬が出している点滴の値段を知らない。点滴は直接血液に入ることから安全性が重要で、点滴によって多くの人命が救われたが、それなのに大塚製薬の「点滴ラクテック500mL」の値段は135円である。いかに点滴の値段が安いかが分かる。つまりラクテックをはじめとした薬剤は国家統制価格で、ポカリスエットなどの飲料水は資本主義による市場価格であることが値段の違いに表れている。