ベビーホテル

【ベビーホテル】昭和56年 (1981年)

 昭和56年6月6日、厚生省は全国のベビーホテル523施設の一斉点検の結果を発表した。ベビーホテルとは無認可の保育施設で、営利を目的に乳幼児を引き受ける施設のことである。その結果、94%の491施設が保健衛生面や防災面などに問題があるとした。

 この総点検のきっかけは、昭和55年3月からTBSテレビのディレクター堂本暁子が都内208カ所のベビーホテルを調査し、その実態を明らかにしたことである。当時、女性の社会進出や、共働きが増え、子供を預けるベビーホテルが乱立していた。

 ベビーホテルに子供を預ける理由の9割が仕事のためであった。高度経済成長により女性の雇用が増え、家計の補助のため、生活水準の向上のため、余暇の利用のために預けていた。かつては祖父母が子供の面倒をみることが多かったが、核家族化から祖父母のいない家庭が増えていた。

 ベビーホテルは保育所に比べて手続きが簡単で、夜間保育や一時預けも可能で、利用者にとって便利だった。しかし一方では、営利を目的とした無資格保育者が経営し、ビルの一室に多数の乳幼児を詰め込むような劣悪な施設も多かった。保育者がいない施設もあって、乳幼児が病気になっても十分な看護ができず、乳幼児が死亡していても気付かない例もあった。このような劣悪な施設で心身に障害が現れる例もあり、乳幼児の健全な成長発育に問題を残した。これはまさに乳幼児の生存権(成長発達権)の侵害といえた。

 昭和56年の1年間に、全国で35人の乳幼児がベビーホテルで死亡、その死因のトップは窒息死だった。度重なる死亡事故や劣悪な保育条件などが明らかになるにつれ、ベビーホテルは社会問題となった。それにもかかわらず、営利目的の乳幼児産業が許されていたのは、社会が複雑化し、婦人労働が多様化したからである。産休が明けたばかりの母親が長時間労働を強いられることもあり、夜間保育の需要が高まっていた。国や地方自治体は、「幼児の保育は家庭が中心」として、公的保育施設の十分な整備はなされなかった。そのため、ベビーホテルを黙認していた。

 当時、ベビーホテルの設備や保育者を規制する法律はなかった。それが世論の力によって、国が重い腰を上げ、昭和56年6月15日に、ようやくベビーホテルを規制する改正児童福祉法が公布された。この法律により国や都道府県は、ベビーホテルなどの無認可保育施設への立ち入り調査が認められ、事業の停止や閉鎖を命令できるようになった。