ダニロン事件

ダニロン事件(昭和56年)

 新薬が発売されるには、まず製薬会社が薬剤の有効性と安全性を検査し、その資料を中央薬事審議会に提出。提出された資料を中央薬事審議会が審議し、その有効性が認められれば厚生大臣が新薬として製造を許可することになる。つまり新薬の製造許可は製薬会社が提出する資料が正しいことが大前提になっている。しかし、もし製薬会社が都合のよい資料だけを提出し、都合の悪い資料を隠したらどうなるであろうか。

 この新薬申請制度を根底から揺るがす事件が起きた。大鵬薬品が厚生省の許可を得て、すでに昭和56年9月から販売していた消炎鎮痛剤「ダニロン」に発ガン性の疑いが持たれたのである。ダニロンは消炎鎮痛剤で慢性関節リウマチ、腰痛性疾患、変形性関節炎などに用いられていた。元々はスペインで開発された薬剤であるが、大鵬薬品が化学的な修飾を加え、新薬として売り出していた。

 ダニロンは他の薬剤と違い、慢性関節リウマチなど長期間にわたって飲み続ける薬剤である。長期服用の薬剤は安全性が最も大切であるが、大鵬薬品は「ダニロン」を厚生省に新薬として申請した際、動物実験で「マウスの肝臓に結節が生じたこと」を意図的に隠していた。またサルモネラを用いた変異原性試験で突然変異原性を認めたのに、認めなかったと逆のデータを提出していた。ダニロンは体内で分解すると発ガン作用を持つホルマリンを発生するが、そのことも隠していた。大鵬薬品はこれらのデータを意図的に隠し、新薬申請をおこない、中央薬事審議会で承認されて発売になった。この事件は我が国で初めて発覚した新薬データ捏造不正事件となった。さらにデータ隠しに加え、承認認可を急ぐため動物実験とヒトへの投与実験が平行して行われていた。

 このダニロンの発ガン性を告発したのは、大鵬薬品の社員たちであった。征露丸でお馴染みの大鵬薬品は資本金2億円で、年間900億円の売上げがあった。だが社員は低賃金で長時間労働を強制され、社員寮は監視され、労働組合の結成には社員の配転や解雇などで妨害されていた。そのため会社に労働組合はなく、社員と会社との対立が繰り返されてきた。このようなときダニロンの発ガン性が社内で問題になった。社員はダニロン錠の販売中止を会社に要求したが受け入れられず、「黙っていれば殺人になる、家族がダニロンを飲んだらどうするのか」そのような考えが社員を奮い立たせた。

 会社の研究者といえども、研究者としての自負があった。北野静雄(初代労組委員長)ら研究員が中心となり労働組合を発足させ、「ダニロンの販売中止と、ダニロンの隠されたデータを公表せよ」と会社に要求した。

 昭和56年10月10日、「発ガンの疑いを隠して販売」と毎日新聞がダニロンの発ガン性をスクープし、一挙に注目を浴びることになった。

 会社側は「データを提出しなかったのは、科学的に信憑性の少ないデータなので、報告するに値しないと判断した」と発表。その翌日には「発ガン実験としては投与量が多すぎ、不適切な実験」であったと釈明した。そして安全性に問題はないが、混乱をさけるためにダニロンの販売を中止して回収すると発表した。

 この事件で、大鵬薬品では多くの研究員が退社し、内部告発を支持した労働組合員は会社から激しい弾圧を受けることになった。労働組合への会社側のすさまじい報復が始まった。組合無視、脱退強要、配置転換、出張、隔離勤務、昇格差別、懲戒処分、さらには暴力事件などなりふり構わぬ組合潰しがおこなわれた。

 この事件は、製薬会社が新薬の安全性を隠したまま申請をおこなった初めての事例で、製薬会社の資料だけで新薬を審査する薬事行政の信頼性を根底からくつがえすことになった。この事件をきっかけに、厚生省は薬事行政の根本的改革を迫られ、それまで提出義務のなかった不都合なデータも企業に提出させる義務を課することになった。

 大鵬薬品の労使紛争は11年にわたったが、最終的に会社は労働組合と和解し、和解協定には「組合活動の保障、組合員差別および懲戒処分の撤回、自社製品に問題があれば労使の話し合いの場を設ける」ことになった。このように両者は和解したが、大鵬薬品の組合つぶし攻撃で80人いた組合員は8人に減っていた。

 大鵬薬品工業にとって次なる事件が待っていた。それはマイルーラ事件である。マイルーラは膣用避妊薬で「性交渉前に膣に挿入し、侵入した精子を溶かして殺す薬剤」である。女性週刊誌などで大々的に宣伝され、手軽に入手できることから、女子高校生や中学生までも使用するほどであった。「自然な感じをそこなわない」、「女性が自主的に避妊できる」、「使用法が簡単」、「後始末の必要がない」などよいことずくめであった。しかし昭和58年、日本消費者連盟と「薬を監視する国民運動の会」の高橋晄正が、マイルーラの毒性を告発、朝日新聞に掲載され社会問題となった。

 マイルーラの主成分はノノキシノール(非イオン系界面活性剤)で、いわゆる合成洗剤であった。そして宣伝文句とは裏腹に避妊効果が少ないこと。強い刺激性がありウサギの実験では膣粘膜に炎症を起こすこと。大鵬薬品は、自然に排泄するとしているが、ノノキシノールは膣から吸収され体内に残留すること。発ガンを疑う論文が発表されていることなどであった。さらに決定的だったのは、発ガン作用疑惑だけでなく、胎児や乳児にノノキシノールの代謝物が移行して、胎児毒性の可能性を警告する論文が外国で発表されたことだった。

 この事実を知った労働組合は会社を追求し、開発の経緯の開示を要求、消費者とともに闘う姿勢をみせた。しかし会社は開発の経緯を明らかにせず、労働組合長を出勤停止処分、懲戒処分としたため裁判で争われることになった。

 この問題は「きれいな水と命を守る合成洗剤追放全国連絡会」、厚生省交渉実行委員会などで取り上げられ、「マイルーラの毒性を考える会」が結成されたが、期待に反し、会社は強気の姿勢で販売を中止しなかった。

 アメリカでは、同系列の非イオン界面活性剤であるオクトキシノールを使用して、口蓋裂、手の異常、手の欠如、左鎖骨形成不全等を伴った奇形児が誕生。このことが昭和61年にアメリカの裁判で争われ、連邦裁判所は因果関係を認め、製造販売を行ったオルソ社に賠償命令をだしていた。

 さらに新たな問題として環境ホルモンが浮上してきた。主成分のノノキシノールは体内で代謝されるとノニルフェノールになるが、ノニルフェノールは農薬に含まれる環境ホルモンとして知られており、内分泌攪乱(かくらん)作用があるとされていた。当時の厚生省はようやく重い腰を上げ、大鵬薬品に「マイルーラ」の主成分ノノキシノールの代謝実験を命じた。

 マイルーラは内部労働組合の運動、市民運動、殺精子剤裁判の判決、環境ホルモン問題などから、売上が販売当初の3分の1に落ちこんだ。そのため大鵬薬品は平成3年3月、安全性に問題があるわけではないが製造を中止するとした。女性主導型避妊薬として18年間市販していた「マイルーラ」を大鵬薬品は断念したのである。