ダイオキシン

【ダイオキシン】昭和58年 (1983年)

 昭和58年11月19日、愛媛大農学部環境化学研究室(立川涼教授)は、猛毒で知られるダイオキシンが市営清掃工場など西日本の6自治体が運営する9カ所のごみ焼却場から検出されたと発表した。ダイオキシンはベトナム戦争での枯れ葉剤、PCB汚染として知られていたが、生活に密着しているごみ焼却場から発生していることに人々は驚かされた。

 以前より、毒性が比較的低い異性体は、焼却後の灰や魚体から検出されたことがあった。しかし、今回はダイオキシンの中でも毒性の強い「2・3・7・8 TDD」が検出されたのである。愛媛大は琵琶湖の底泥からもダイオキシンを検出。また、昭和63年には東京湾と大阪湾の魚からもダイオキシンを検出している。

 ダイオキシンは水に溶けず残留性が強いため、地下水に浸透して雨水とともに河川から海に流入する。そのダイオキシンが魚類などに取り込まれ、その魚をヒトが食べて人体に入ると、肝臓障害、異常出産、発がんなどに影響を及ぼすとされた。

 その後も、ダイオキシンは全国の河川や湖からも検出され、汚染が広がっていった。厚生省は、平成7年11月にようやく研究班を設置し、規制や対策づくりに乗り出した。平成9年春には全国のごみ焼却場の調査し、「基準値」を超えている72施設名を公表した。

 平成11年2月、テレビ報道をきっかけに埼玉県所沢市の野菜の価格暴落騒ぎが発生。国民の不安が高まり、これが後押しとなって同年7月、ダイオキシン類対策特別措置法が成立した。これを受けて環境庁が環境基準値を定めたが、基準値が高いと指摘もあり、ダイオキシン対策の実効性を疑問視する声も出ている。