グリコ・森永事件

グリコ・森永事件(昭和59年)

 昭和59年3月18日、午後9時30分ごろ、兵庫県西宮市の江崎グリコ社長・江崎勝久宅(42)に覆面をした2人組の男性が侵入した。江崎勝久宅はセコムの防犯システムを導入していたが、犯人は防犯装置のない母親宅の窓ガラスを破って侵入、母親を縛り、合い鍵を奪って江崎勝久宅に押し入った。江崎夫人は「お金なら差しあげます」と叫んだが、拳銃を持った犯人は夫人をトイレに閉じこめ、金銭を奪わず、危害を加えず、子供2人と入浴中だった江崎社長を全裸のまま外へ連れ出した。自宅前には別の男が赤い車で待機していて、犯人たちは江崎社長を車に押し込めると急発進して逃走した。

 翌19日、犯人グループは江崎グリコ役員に「人質は預かった、身代金10億円と金塊100キロを用意しろ」と要求してきた。有名会社社長の誘拐、史上最大額の身代金、犯罪史上類のない大事件となった。

 捜査は進展しないまま時間だけが過ぎていった。しかし事件発生から3日後の21日午後2時30分頃、江崎社長は監禁されていた大阪・茨木駅近くの淀川ぞいにある水防倉庫から自力で抜け出し、鉄道作業員に助けを求めてきた。江崎社長は犯人像や脱出状況について多くを語らなかった。なぜ江崎グリコが狙われたのか、なぜ簡単に逃げ出せたのか、犯人はなぜ故意に開放したのか、犯人の背景や動機は謎のままであった。

 多くの謎を含みながら、この事件は一件落着したかにみえた。しかしこれは単なる序曲にすぎなかった。江崎社長は解放されたが、4月2日、犯人から6000万円を要求する脅迫状が江崎宅に届き、10日にはグリコ本社が放火された。誘拐事件は脅迫事件へと姿を変え、予想をこえる展開となった。

 警察は犯人グループの真意をはかりかねていたが、事件から約1ヶ月後の4月23日、犯人を自称する「かい人21面相」から、「けいさつの あほどもえ おまえら にんずう たくさん おって なにしてんねん」という挑発的脅迫状が新聞社に送られてきた。さらに「名古屋と岡山の間に青酸ソーダ0.05グラムを入れたグリコ製品を置く」と書かれた文面が送られてきた。そして西宮市内のコンビニに、「どくいり きけん たべたら しぬで かい人21面相」と書かれた紙を貼った菓子が発見され、実際に青酸ソーダが検出された。防犯カメラに「野球帽をかぶった不審な男(キツネ目の男)」が映っていた。捜査本部はキツネ目の男を重要参考人として写真を公開したが、有力な手がかりはなかった。グリコ製品は店頭から撤去され50億円以上の損害を出した。売り上げは250億円低下し、株も落ち込み、工場は操業停止となった。グリコは捜査当局に非協力的な印象があったため、社内事情が絡んだ事件、何らかの裏取引、グリコへの怨恨説などが噂された。しかしその一方で、江崎グリコは犯人から再三脅迫を受けていた。

 6月2日、犯人は初めて現金奪取に動いた。犯人は大阪府摂津市の焼き肉屋の駐車場に現金3億円を積んだカローラを止めておくことをグリコに要求。駐車場ではグリコ社員と捜査員がカローラの中で犯人を待った。捜査本部の関係者は見立たないように周囲を取り囲んでいた。

 同日、午後8時15分頃、江崎氏が監禁されていた水防倉庫の近くの堤防で若い男女(Aさん、B子さん)が車を止めデートをしていた。そこへ3人の男が銃身のような物を持って運転席に入ってきた。Aさんは元自衛隊員で腕力に自信があったが、殴られて戦意を失った。そして犯人の2人はAさんの車に乗り、1人は犯人の車にB子さんを乗せ、それぞれ別方向に走り去った。2人組はAさんに、「焼き肉屋に駐車しているカローラバンの運転手から車を受け取り、先ほどの堤防まで戻って来い」と命令すると途中で車を降りた。「言うことを聞かないとB子さんの命はない」と脅されたAさんは犯人の指示に従った。

 Aさんは焼き肉屋に止めてあるカローラに近づき、捜査員に「この男に車を引き渡せ」と犯人が書いたメモを見せた。捜査員はカローラから降り、Aさんは指示通りにカローラを運転し堤防に向かった。しかしカローラは550m走ったところでエンストしてしまった。エンストは捜査本部が仕掛けたもので、Aさんは捜査員に取り押さえられた。捜査員は犯人逮捕と喜んだが、Aさんは脅迫されて車を運転していただけの替え玉であった。犯人逮捕は失敗、1時間後B子さんは犯人から電車賃2千円を貰って無事解放された。

 ところが6月26日、グリコ事件の終結を宣言する文書が各新聞社に届いた。犯人から「江崎グリコゆるしたる スーパーもグリコうってええ」との手紙が送られてきたのだった。犯人側と江崎グリコ側とに何があったのか謎のままであるが、この手紙と同時に大手スーパーなどがグリコ製品の販売を再開し、江崎グリコの業績は上がり株が上昇した。

 これで事件が終わったわけではなかった。犯人たちは標的をグリコから丸大ハムに変えたのだった。6月22日、犯人たちは丸大ハムに「グリコと同じようになりたくなかったら5000万円を用意しろ」と脅迫文を送ってきた。犯人の要求通り捜査員が5000万円の入ったボストンバックを持ち、指定された高槻市のバスターミナルへ向かった。バスターミナルの観光案内板の裏を見ると、「高槻駅から京都駅に向かう電車に乗り、東海道線の鉄橋近くで旗を見つけたら、車窓からボストンバックを投げ込め」と犯人からの指示があった。これは黒澤明監督の映画「天国と地獄」と同じ方法であった。しかし電車の速度が速かったせいか旗を見つけることができなかった。この時、捜査員のあとをつける不審な「キツネ目の男」が7人の捜査員に目撃されていた。この不審な男は、5000万円を持った捜査員が京都駅で下車し、再び高槻駅行きに戻る時も電車に乗り込んでいた。警察は不審な「キツネ目の男」を泳がせ、犯人グループを一網打尽にしようとしたが、京都駅で見失ってしまった。

 第3の標的は森永製菓だった。グリコ製品同様に青酸入りの菓子を関西のスーパーやコンビニ店に置き、「どくいりきけん、たべたら 死ぬで」と書いたシールを森永製品に貼り、森永製菓に1億円を要求してきた。しかし指定された場所に現金を置いたが、犯人は現れなかった。そして1週間後、NHKに青酸ソーダの固まりが送られてきた。

 第4の標的となったのはハウス食品だった。11月14日、ハウス食品は脅迫状の指示通りに、車に1億円を積んで名神高速道路の大津パーキングエリアで金の受け渡しのため待機していた。この時も2人の捜査員がパーキングで不審な「キツネ目の男」に数メートルのところまで接近したが、捜査官は犯人に気づかれるような尾行は禁じられていた。キツネ目の男は高速道から、一般道路への通路を使い姿を消した。ハウスの社員に変装した捜査員は、犯人側が指定した場所に置いてあった指示書を読んだ。「名古屋方面に向かい、白い旗が見えたら缶に入れた指示書を見よ」と書いてあった。捜査官はゆっくりと車を名古屋方面に走らせた。

 一方、ほぼ同じ時刻、白い旗が取り付けられた高速道路の地点から50メートル手前で交差する県道で、滋賀県警のパトカーが不審なライトバンを発見した。大阪府警は、今回の捕り物について、京都、兵庫、和歌山の県警に情報を流していたが、滋賀県警には幹部にしか教えていなかった。そのためパトカーの警察官は取引があることを知らなかった。警察官が不審車を取り調べようとパトカーを降りると、不審車は急発進して逃走した。ライトバンは細道を猛烈なスピードで逃げ、パトカーは追跡したが見失ってしまった。その後、乗り捨ててあった不審車が発見された。その車は盗難車で、車内には警察傍受無線機が残されていた。つまり犯人は警察無線を傍受していたのだった。

 警察の失態が続くなかで時間だけが過ぎ、犯人から食品会社への脅迫状、警察への挑戦状が相次いだ。そして12月7日、第4の標的として不二家に1億円を要求する手紙が届いた。そして大阪市梅田の阪神百貨店、東京池袋のビルから1000万円を撒くように要求してきた。そしてバレンタイン目前の2月12日、東京と名古屋で青酸入りチョコレートが見つかった。その後、和菓子の老舗である駿河屋に5000万円を要求する脅迫状が届いた。

 そうこうしているうちに、事件発生から1年5ヶ月後の昭和60年8月12日、犯人側から、突然「もうゆるしたろ、くいもんの 会社 いびるの もう やめや」と一方的に終結宣言があり、その後完全に犯人の動きがなくなった

 犯人の遺留品は100以上あり、西宮のコンビニのビデオには犯人が映っていながら、この事件は解決しなかった。遺留品は広範かつ大量に流通している商品で犯人には結びつかなかった。コンビニの防犯ビデオに映された「キツネ目の男」は全国に報道され、街頭にも多数の写真が貼られたが身元は不明のままである。警察の一連の失態は、犯行が関西地区を中心に大阪府、京都府、兵庫県、滋賀県にまたがり捜査の連携に支障があったこと、さらに捜査本部の指示により末端の不審者を逮捕せず、尾行して犯人たちを一網打尽にする方針だったためである。犯人の思うままの展開に、警察への非難の声が高まり、責任を感じた滋賀県警察本部長が焼身自殺をしている。

 この事件による食品会社の損害は甚大であった。また実際に青酸ソーダの入った食品がばらまかれるなど当時の社会に与えた影響は大きかった。この事件の実行グループとして北朝鮮工作員説、左翼活動家説、暴力団説、総会屋説、現職警察官説などがあるが、犯人の目的や動機はいまだ分からない。警察は「犯人は何も得ていない」と発表しているが、犯人は企業との裏取引によって、あるいは株操作で儲けたとされている。警視庁は10年間で25万7000人の捜査官を投入したが、犯人を検挙することはできなかった。またこの事件で犯人たちが警察無線を傍受していたことが判明、警察無線をデジタル暗号化することになった。犯人は捕まらなかったが、グリコ・森永事件をまねた便乗犯が続出し、1年間で31件が摘発され25人が逮捕された。

 この事件の特徴は、企業トップの誘拐、犯行の大胆さ、犯人が警察の厳戒態勢をあざ笑うようにかいくぐったことである。さらに各食品会社に35通の脅迫状を送り、警察、マスコミにも63通の挑戦状を送り、マスコミを巧みに利用しながら話題をつくり、話題を圧力に会社を脅したことである。つまりこの犯罪はマスメディアを利用した食品企業脅迫であり、食品会社にとっては食品の安全性というイメージを逆手に取られた事件であった。また饒舌なメッセージで情報化社会を巧みに利用したことから「劇場型犯罪」と名付けられた。この事件は平成12年2月13日に時効となり、広域指定事件として初めて迷宮入りとなった。すべては謎につつまれたままである。