イエスの方舟

イエスの方舟 昭和55年(1980年)

 昭和55年7月3日、警視庁防犯部は、「イエスの方舟(はこぶね)」の教祖・千石イエス(千石剛賢)の逮捕状を取った。ところがその逮捕状は、意味のない紙切れになってしまった。つまり世間とマスコミが「イエスの方舟」をカルト宗教と妄想し、警察がそれに踊らされただけであった。

 この事件は東京多摩地区の若い女性が入信を機に家出し、その家族から捜索願が出されたことから始まる。教祖の千石イエスは「若い女性をマインドコントロールして、ハーレムを作っている」とマスコミは騒いだが、実際には「極東キリスト集会」という聖書研究会を主宰し、女性信者が自らの意志で共同生活をしていた。家庭や結婚に疑問を持った女性たちが、新たな生き方を求めての共同生活で、カルト宗教ではなくサークルと呼ぶに相応しいものだった。

 「イエスの方舟」とは、昭和50年に千石剛賢が「極東キリスト集会」を改名したもので、東京都・国分寺市にテントを張って布教活動をおこなっていた。自主的に家出した若い女性信者が集まった「イエスの方舟」は、聖書の教えを学びあう家族のような合法的宗教であった。しかし女性信者の家族は、娘の行動を理解できず、「娘は千石に騙されている」と思い込んでいた。

 昭和53年4月、娘を返せと迫る家族から逃れるように「イエスの方舟」は東京から集団で逃亡した。教団26人全員が大阪、神戸、長野、明石、岡山などを転々とさすらい、同年12月から福岡市内のマンションで共同生活をおこなった。そして翌3月から、若い女性信者9人が福岡市内のキャバレー「赤坂」でホステスとして働くことになった。キリスト信者がホステスとして働くことに違和感を持つかもしれないが、それは共同生活のための資金調達で、彼女らの信仰心に反するものではない。逃亡生活は2年以上にわたった。

 イエスの方舟の集団失踪を誘拐と思い込んだ家族は警察へ捜査を要請、市長へ陳情を繰り返した。これにマスコミが加勢し、昭和54年12月号の婦人公論に「千石イエスよ、娘を返せ」と題した家族の手記が発表されると、「イエスの方舟」が日本中の注目を浴びることになった。マスコミは「現代の神隠し教団」と見出しを掲げ、千石イエスを極悪非道の宗教家とする記事が連日のように報道された。若い娘たちを監禁する千石イエスのハーレムと決めつけ、サンケイ新聞は昭和55年2月から、「イエスの方舟」を糾弾するキャンペーンを連載した。テレビのワイドショーでは格好のネタになり、この「現代の神隠し」事件は国会でも取り上げられた。なお千石イエスの名前は、マスコミが勝手に作り上げたものである。

 「イエスの方舟」はマスコミから中傷非難されたが、週刊誌・サンデー毎日は信者の手記をそのまま好意的に掲載した。そしてサンデー毎日は、イエスの方舟に誤解を解くように呼びかけた。心臓病をわずらっていた千石は、自分の命があるうちに誤解を解決しようと、呼びかけに応じ、熱海でマスコミの前に姿を現した。

 昭和55年7月3日、警視庁防犯部は熱海に捜査員を派遣し、捜索願が出されていた7人を保護し、幹部I人を逮捕。さらに3人の身柄を確保したが、千石イエスは心臓発作を起こし、病院に収容された。

 しかしその翌日、信者たちは記者会見をおこない「信者全員は自の意志で入信したこと、警察と家族が強制的に連れ戻そうとしていること、教団へのマスコミ報道は大きな間違いで、保護された7人は7人とも自分を保護する家庭などない」と主張した。

 女性信者たちは「中流社会の幸福を強制する親を否定して家出、宗教的な共同生活を選び、自らの価値観に見合った生活を送っていた」だけであった。事実、「イエスの方舟」は「来る者は拒まず、去る者は追わず」という信者の主体性を尊重した集団であった。女性たちは聖書を勉強しするために「イエスの方舟」にいただけで、この信者の会見から警視庁は捜査を任意に切り替え、逮捕を書類送検として検察は不起訴処分とした。

 この事件の本質は、親子の価値観の違いであった。娘たちが騙されていると信じる親の感情がエスカレートし、興味本位のマスコミが「千石イエスが若い女性を誘拐して監禁状態にしている」と騒ぎ、それに警察が振り回されたのである。しかし実際には全く違っていた。先入観、偏見、憶測、妄想が生んだ騒動であった。

 女性信者の多くは裕福なサラリーマンの娘たちであった。高度経済成長を支えた父親は、息子を一流大学から一流企業への就職することが、娘を一流サラリーマンと結婚させることが幸福への道と思い込んでいたのだった。そのため彼女らが選んだ価値観、生活を理解できなかった。

 信者は親の溺愛と過保護の中で、過度の期待による苦痛、希薄な家族関係への不満、親の価値観の押し付け、このような家庭への不満を持っていた。彼女らの家庭は幻想にすぎず、むしろ本当の家庭を「イエスの方舟」に求めていた。聖書を通して他人との壁を取り外した「イエスの方舟」は、悩める乙女たちの生活共同体であった。

 女性信者は家や世間に流されず、自分の生き方を求めていた。人生を真剣に考え、それを受け入れたのが「イエスの方舟」だった。女性信者は千石のことをいつも「おっちゃん」と呼び、千石に宗数的権威はなく、彼女らの悩みを親身にきいてくれた。

 彼女たちにとって家庭よりも「イエスの方舟」の方が自分らしく生きられる場所だった。家族に引き取られた信者たちは、自分たちの意志で再び「イエスの方舟」へ戻った。

 平成3年12月11日、千石剛賢は78歳で死去するが「イエスの方舟」は福岡の中州で、集会所を兼ねた「シオンの娘」というナイトクラブを営み、信者たちは共同生活を送っている。クラブ「シオンの娘」のガラスの扉には「良心的なあなたのクラブ」と書かれている。「イエスの方舟」は世間からの誤解と非難を受けたが、マスコミの良識とは何なのか、家庭の幸せとは何なのか、人生はどうあるべきなのか、「イエスの方舟」はこのことを考えさせてくれた。