からし蓮根食中毒事件

からし蓮根食中毒事件 昭和59年(1984年)

 昭和59年6月23日に長崎市で、24日には宮崎市でボツリヌス食中毒患者が発生した。25日には熊本の名産品からし蓮根(れんこん)が原因と判明、報道機関を通じて全国に注意が呼びかけられた。ボツリヌス食中毒の発生は28日には終息したが、最終的に1都12県で患者36人、死者11人を出す大惨事に発展した。食中毒の規模は小さかったが、致死率は31%に達した。

 からし蓮根は熊本の名産品で、製造会社は熊本県内だけで大小合わせ約100社もあった。熊本県衛生部は、食中毒患者が食べた「からし蓮根」は熊本市内の食品会社「三香」が製造したものであることを突き止め、直ちに製造の中止と土産店からの回収を命じた。

 ボツリヌス食中毒を起こした患者は、「からし蓮根」を土産物店で購入し、各地に持ち帰り発症した。三香は、この年の6月1日から製造中止までに、3万1000パックの「からし蓮根」をつくっていた。このパックの中にボツリヌス菌が混入したのだった。

 ボツリヌス菌は、普通の細菌とは異なり、空気のない土や海水中に生息する嫌気性菌である。嫌気性菌とは、空気のない状態でのみ増殖する菌で、空気があると発育が停止する。このように嫌気性菌は、通常の生物とは逆の特徴を持っていた。

 三香が製造した「からし蓮根」は、真空パックで売られていた。真空パックであれば、長期間の保存が可能と考えがちであるが、この真空が嫌気性菌であるポツリヌスにとって増殖しやすい環境をつくっていた。ポツリヌス菌は、真空パックの中で増殖して毒素を生み出し、この毒素が口から入り、体内に吸収されて中毒を引き起こしたのである。

 この悲劇は常温での保存が可能という真空パックの利点が落とし穴となった。三香も真空パックを過信し、「からし蓮根」の賞味保証期間を25日としていた。

 三香はこの事件で倒産したが、それだけにとどまらず、全国の食品売り場からからし蓮根が排除された。からし蓮根食中毒事件の犠牲者とその家族は、自己破産した三香の破産管理人を相手に損害賠償を求め、総額2億7500万円で和解となったが、会社に残された資産はわずかばかりで、原告が手にした金額は死者1人当たり100万円にすぎなかった。

 熊本の名産品からし蓮根は、初代熊本藩主・加藤清正の時代からあった。貧血で病弱だった細川忠利公のために、禅僧が鉄分の多い蓮根を食べるように進言。藩の料理人らが腕をふるい、熊本に伝わる麦みそと和がらし粉を混ぜたものを蓮根の穴に詰め、衣をつけ菜種油で揚げ、細川公に献上したのだった。細川公がこの蓮根を常食にして健康を取り戻したことから、また細川家の家紋に似ていることから、からし蓮根は細川藩口伝の栄養食となった。これが、からし蓮根の歴史である。

 からし蓮根は夏場には製造されていなかったが、真空パックという新しい保存法が開発されたため売り出されるようになった。被害者が全国に及んだのは、グルメブームで地方の伝統食品が全国に流通するようになったからである。からし蓮根の製造は機械化されていたが、大量生産はできず、熊本市の城南町を中心に製造・販売業者が集まり味を競っていた。もちろん、からし蓮根400年の歴史の中で、ボツリヌス中毒は今回の事件が初めてであった。

 ボツリヌス毒素は、加熱すれば不活性化するが、ボツリヌス菌は芽胞をつくるため熱に強く100℃でも1時間は平気だった。空気(酸素)のない場所で増え、熱に強いボツリヌス菌の存在など誰も予想していなかった。

 ボツリヌス中毒は、ボツリヌス菌が食品中で増殖し、毒素を産生することによって起きる。通常の食中毒は下痢、嘔吐などの胃腸症状を示すが、ボツリヌス中毒の胃腸症状は軽度で、多くは神経症状で発症する。

 身体の筋肉が動くためには、神経から筋肉への命令(神経伝達)が、アセチルコリンという化学物質を介して行われている。ボツリヌスの毒素は、このアセチルコリンの放出を阻害するため、手足が自由に動かせなくなる。さらに呼吸筋が麻痺し、呼吸ができずに死に至る。ボツリヌス食中毒が恐ろしいのは、毒素が神経毒であるため、患者は平熱で、意識も死の直前までしっかりしていることである。

 ボツリヌス食中毒は、食べてから半日から1日の潜伏期間をおいて発症する。まぶたが重くなり、ものが見えにくくなる、ものがぼやけ二重に見えるなどの神経症状が初期症状で、その他、頭痛やめまいが出現する。次に唾液が出にくいなどの自律神経症状が出て、四肢の麻痺が出てくる。

 最終的には呼吸筋麻痺で死亡するケースが多いが、最初の10日を乗り切れば助かるとされている。しかし今回のからし蓮根事件では、6カ月間呼吸困難が続いた患者がいた。

 患者の血液、便、食べ物からボツリヌスの毒素を検出することで確定診断となる。さらには遺伝子増幅法、酵素抗体法などもあるが、まずは臨床症状から本疾患を疑ってみることである。治療は、呼吸管理を中心とした全身管理を施すことで、抗ボツリヌス抗体を用いた血清療法は早期であれば有効である。ボツリヌス中毒に有効な抗生剤はない。

 ボツリヌス菌には、A型からG型までの7種類が知られていて、人間に毒素をもたらすのは、A型、B型、E型、F型の4種類である。ボツリヌス菌が出す毒素は地上最強とされ、ボツリヌスA型の毒素はわずか0.0005ミリグラムが致死量とされている。この毒素は青酸カリの30数万倍の強さで、200グラムで全人類が死亡する。

 毒性が最も強いA型ボツリヌス菌の死亡率は、30〜80%と高いが、ボツリヌス菌による食中毒は、日本ではこれまで年間数件程度である。からし蓮根中毒事件ほどの大規模な中毒は、極めて珍しいことであった。

 ボツリヌス菌による食中毒事件は極めて珍しく、特に西日本ではボツリヌス菌は無縁とさえ言われていた。もともと日本に少ないボツリヌス中毒が起きたのは理由があった。日本のボツリヌス中毒は、E型ボツリヌス菌が通常であるが、からし蓮根から検出されたのは、毒性が最も強いA型であった。からし蓮根に使用された「からし」が、ヨーロッパから輸入されたものだったからである。ボツリヌス菌A型は、ヨーロッパでは広く分布していた。

 1793年にドイツでソーセージを食べた人たちが、世界で初のボツリヌス中毒になった。ボツリヌス中毒は欧米では「腸詰め中毒」として古くから知られていた。それはハムやソーセージを食べた後に起こす奇怪な中毒の意味であった。ボツリヌスの病名もラテン語の「ソーセージ(腸詰め)」に由来している。このように、ヨーロッパではソーセージ、薫製、ハムを食べてボツリヌス中毒になる人が多かった。

 1895年のベルギーに話はさかのぼるが、葬儀の昼食に出された塩漬けのハムを食べ、10人が重症になり3人が死亡した。この食中毒を詳細に調べた医学者のエルメンゲンが、ボツリヌス菌を世界で初めて発見した。エルメンゲンはハムと遺体から分離した菌を動物に注射しても死なないのに、菌の培養液を注射すると動物が麻痺を起こして死亡することを発見した。つまり食中毒は菌そのものではなく、菌がつくりだす毒素によるものだった。そしてエルメンゲンはこの毒素を産生する細菌をボツリヌス菌と命名した。

 ボツリヌス菌そのものは熱に強いが、その毒素は熱に弱い。80度30分の加熱処理で無毒化される。また現在、食品添加剤として使用されている亜硝酸ナトリウムは、ボツリヌス菌の増殖を抑える作用がある。そのためハムなどの成分表を見ると、亜硝酸ナトリウムが含まれているのがわかる。

 日本では、ボツリヌス菌による食中毒事件は戦前には認められていない。日本におけるボツリヌス中毒の最初の報告は、昭和26年6月に北海道で起きた「いずし食中毒事件」である。この事件は、北海道岩内郡島野村で54歳の女性が腹痛を起こし死亡したのが発端であった。翌日、女性の葬儀に訪れた人たちが、女性が作っていた「にしんのいずし(にしんを米や麹[こうじ]と一緒に漬け込んだ料理)」を食べたところ大騒動となった。

 葬儀に出席した24人が腹痛を訴え、4人が死亡したのだった。この「いずし食中毒事件」は、最初は毒物混入事件とされたが、遺体に毒物反応がみられず、北海道衛生研究所の飯田広夫に検査が依頼された。飯田広夫は海外で報告されているボツリヌス中毒を疑い、食べ残された「にしんのいずし」からE型ボツリヌス菌を検出した。この「いずし食中毒事件」以降、日本のボツリヌス菌中毒はE型食中毒が主であった。

 ボツリヌス菌による食中毒事件は、戦後から平成7年までに109件。患者数は511人、死者は113人(致死率22.1%)で、その死亡率の高いことが分かる。北海道や東北地方では「いずし」あるいはこれに類似した魚類の発酵食品に多くみられ、毒素はいずれもE型である。

 主だった例として、昭和44年に宮城県の県庁職員がオードブルを食べ21人が発症し3人が死亡。この事件は西ドイツから輸入したキャビアによるボツリヌス菌B型による食中毒で、B型による日本初のケースであった。昭和48年には滋賀県でハスずし(E型感染)による中毒があった。昭和51年には、東京都調布市で原因食品は不明であるが、ボツリヌスA型菌による食中毒により2人が発症し1人が死亡している。

 その他、栃木県(昭和59年、B型、原因食品不明)、岡山県(昭和63年、A型、原因食品不明)、広島県(平成3年、A型、原因食品不明)、秋田県(平成5年、A型、里芋の缶詰)、大阪府(平成5年、毒素型不明、臨床決定)などがある。

 平成11年、千葉県柏市でパック入り「ハヤシライス」で、小学6年生の女児がボツリヌスA型菌による食中毒になっている。女児は意識不明の重体になったが数カ月後に回復している。保健所の調査では、「ハヤシライス」は要冷蔵であったが、購入後9日間常温に置かれてあった。この例も真空パックだったことが災いしたとされ、メーカーは「要冷蔵」の表示を大きくするなどの対策を講じた。

 ボツリヌス食中毒の原因となる食品は、ヨーロッパから輸入されたオリーブ漬けの缶詰やびん詰などの保存食品が多い。缶詰、薫製、ソーセージ、ハムなどが原因食品となる。死亡率が高いことがボツリヌス中毒の特徴であるが、早期発見、全身管理の進歩により最近では死亡例は出ていない。

 現在、ボツリヌスA型毒素はその特性を生かし、筋肉の硬直を取る薬剤として使われている。自分の意志とは関係なく筋肉が収縮するジストニア、目の周囲の筋肉がけいれんしてまぶたが開かなくなる眼瞼けいれん、首や背中の筋肉が異常に収縮する斜視などの治療薬となっている。

 また顔面のしわを取るために、整形美容でボツリヌスの注射が行われている。もちろんボツリヌス毒素は危険性をともなうため薬剤として扱われ、専門医により投与される。眼瞼けいれんの治療に治療量の7万倍の毒素(致死量の100倍)を投与し、呼吸麻痺を起こし人工呼吸器から145日目に離脱したとの報告もある(日集中治療医会誌1998;5:200)。