紅茶キノコ

紅茶キノコ(昭和49年)

 昭和49年,健康に関する本が次々に出版され健康そのものがブームとなっていた.そして昭和49年の暮れごろから紅茶と砂糖だけで簡単につくれる「紅茶キノコ」が日本中で爆発的なブームを呼んだ.紅茶キノコはソ連・シベリア地方のバイカル湖畔の長寿村で古くから愛用されていたとされ,安価でしかも手軽なことから全国的に爆発的ブームとなった.紅茶キノコを雑誌やテレビが何度も取り上げたため,紅茶キノコは加速度をつけながら日本中を飛び回った.

 紅茶キノコと呼ばれが,その正体はキノコではなく酢酸菌という酵母の一種であった.この紅茶キノコの作りかたは簡単で,砂糖を入れた紅茶のビンの中に酢酸菌を入れ,ふたをしたまま冷暗所に保存するだけである.酢酸菌はビンの中で繁殖して,数日もすると紅茶の上に乳白色の菌の固まりがぽっかり浮かび上がってくる.この上積みとなった紅茶の表面を飲むのが紅茶キノコ健康法であった.乳白色に盛り上がった表面がキノコのカサに似ていることから「紅茶キノコ」と名づけられた.飲んだあとはさました紅茶を補充するだけである.酸味を帯びた紅茶の成分は主に酢酸であるが万病に効くと宣伝され,そのため近所ぐるみ,職場ぐるみで紅茶キノコの栽培が行われ全国的なブームとなった.

 この紅茶キノコの仕掛け人は中満須磨子であった.昭和4912月に彼女の著書「紅茶キノコ健康法(地産出版)」が出版された.この「紅茶キノコ健康法」は昭和50年の半年間で30万部を売るという爆発的ブームを引き起こしベストセラーとなった.それはすざましいブームで,東京・紀伊国屋書店ではこの本を求める人たちで大騒ぎになった.本を買うために列をつくり,何冊も買い占める者がいると,「そんなに買うな」とヤジが飛ぶほどだった.このように日本中が紅茶キノコに熱中したのである.この「紅茶キノコ健康法」の本の巻末には菌体の申込書が添付されており,1日最高で2万通の申込書が出版社に殺到したとされている.この年の愛飲家は300万人と推測された.

 紅茶キノコ健康法によると,紅茶キノコはバイカル湖畔の長寿村に昔からあった健康法で,これを常用している村人には癌,高血圧,心臓病で死んだ人はいないとされた.効能としては万病に効くが,特に高血庄、肝障害、胃腸障害、慢性腎炎、水虫などに効果があるとされていた.

 紅茶キノコは雑誌やテレビで話題になり,芸能人や有名人が出演して紅茶キノコ健康法の効果を礼賛した.作家の丹羽文雄は「便通がよくなり,精気があふれたようだ」,評論家丸山秀子は「コレステロールが正常になった」,防衛庁長官・坂田道太は「便通がよくなり,胃腸がつよくなった」,女優の山田五十鈴は「下痢や肩こりが取れ,皮膚が柔らかくなった」.上智大学教授・渡部昇一は「便秘もよくなり,コレステロールも下がり,悪い影響はなにもない」このような有名人の体験談が述べられブームを煽った.

 昭和500610日,朝日新聞は紅茶キノコが爆発的ブームになっていると報道している。また民放は先を争うように特集を組んで報道していた.NHKでさえコーカサスの長寿村を訪問する番組で,村民に「紅茶きのこを知ってますか」とインタビューしたほどである.また国会でも取り上げられ愛好者の厚生省幹部がやり玉に上げられた.この異常なブームによってリプトン紅茶の売り上げが急上昇し,株価まで上昇した.これだけのブームになると,その効果に疑問を呈する意見が増えてくることになる.そして厚生省は「効果の実態は明確でない」と国会で答弁するに至っている.紅茶キノコ健康法の本には紅茶キノコの副作用についての記載はなかったが,専門家は雑菌による有害説を指摘し,この指摘によりブームは急速に衰え消失した.結局,紅茶キノコは半年だけの一過性の異常なブームとなった. 熱しやすく覚めやすい日本人の気質を表していた.

 ところでこの紅茶キノコは中満須磨子が書いたとされているが,実は埼玉新聞論説委員・小川清が上司の未亡人である中満須磨子の名前を借りて書いたことが分かっている.小川清が発案して書き,相談役をしていた地産出版(現・竹井出版)から出版したのだった.つまり紅茶キノコは仕掛けられた健康ブームだった.健康によいというだけで,これだけのブームになったのである.

 昭和40年代後半はそれまでの高度成長が一段落し,金儲け一辺倒だった国民の関心が次第に自分の健康へと向かうようになった時期である.雑誌の内容は,うわさ話や金儲けのハウツーものから,健康をあつかう内容が増えていった.そして「壮快」を初めとした健康雑誌が次々に創刊され売れゆきを伸ばしていった時期であった.この健康ブームは高度成長がもたらした公害の影響もあり,公害による有害物質の影響を少しでも減らしたいと思うこと.さらに物質的な豊かさが成人病を増加させたこと.そして近代医療への不信などから健康不安を引き起こし,人々の関心は健康食品や健康法などに向かったのである.ちょうど有吉佐和子が書いた複合汚染がベストセラーになった年でもあり、豊かな生活の中にひそむ健康への不安がブームを呼んだのだろう。人々の関心が金儲けから健康へと移動したのであった.何となく健康に不安を持つ人たちがこの健康ブームに踊ってしまったのである.健康法のブームは紅茶キノコを作り上げたが,その他,にんにく健康法,梅干し健康法,酢酸健康法,さるのこしかけ,青竹ふみ,海藻健康法などの怪しげな健康法が次々に登場することになった.さらにアロエ健康法,酢大豆,アルカリブーム,これらは世の中が平和になった証拠なのだろうか,自分の健康を考える時代に移行したが,紅茶キノコは健康ブームの走りであった.紅茶キノコは健康を願う人々のあだ花といえるが,それ以降も次々と健康食品は出ては消え,健康ブームは次々と生まれている.