睾丸(こうがん)摘出事件

【睾丸(こうがん)摘出事件】

 昭和40年9月、宮崎県の11歳の少年が精神病院に入院させられた。そして親への相談もなく少年の睾丸が摘出されるという事件が起きた。この少年は炭坑離職者の子どもで、7歳のころから放火などの不良行為が絶えなかった。消防署にイタズラ電話を掛けたことから県知事の命令で措置入院となった。
 そこで精神病院の院長は、少年は興奮性の知的障害で危険性が高いと判断、睾丸を摘出する外科療法を行った。現在では、このような去勢手術は行われていないが、その当時は精神科における外科療法の1つとして存在していた。乱暴な者を去勢すれば、あるいは女性ホルモンを投与すれば、女性のようにおとなしくなるという理屈であった。
 精神病は遺伝性疾患と考えられ、変質者の子孫を残さない手段として去勢手術が施されていた。明治35年の「神経学雑誌」第1巻第1号には、「変質者ノ睾丸摘出ト社会保護」という論文が掲載されている。昭和40年当時は、変質者という言葉が新聞でも多用されており、この睾丸摘出事件はそれほど大きな問題にはならなかった。
 平成8年、米国でミーガン法が成立した。ミーガン法とは性犯罪者の情報公開法のことで、ニュージャージー州の少女ミーガンちゃん(7)が性犯罪常習者にレイプされ殺害された事件をきっかけにできた州法である。性犯罪者の住所や犯罪歴を住民に公開し、地域で性犯罪常習者を監視して子どもを守るための法律だが、検討段階で性犯罪者の睾丸を摘出する外科的手術が必要だとする提案も出されていた。