東大病院高圧酸素タンク爆発事故

【東大病院高圧酸素タンク爆発事故】昭和44年(1969年)

 昭和44年4月4日午後0時45分、東京大学付属病院の高圧酸素治療室内で高圧酸素タンクが爆発。タンク内で治療を受けていた東京都台東区の村松シズノさん(65)と静岡県富士宮市の岩田仲子さん(55)、それに治療に当たっていた同病院中央手術部の明石勝興助手(53)と台湾からの留学生で関東逓信病院脳神経外科所属の林昭義医師(34)の4人がタンク内で焼死した。

 村松シズノさんは外傷性中大脳動脈閉塞症で入院していたが、退院当日の朝、何の説明もなく明石助手から高圧酸素療法を行うことを知らされた。

 高圧酸素タンクは、密閉したタンクに純酸素を圧縮して送り込み、高濃度の酸素で障害部位の治療効果を上げる装置である。2〜3気圧に加圧された状態で酸素を吸うと、酸素が直接血液中に溶け込み、赤血球不足でも酸素が全身に行きわたる。高圧酸素療法はこれまで、一酸化炭素中毒、潜水病などの治療に効果を上げ、脳梗塞、麻痺性イレウスなどの治療にも応用され、特に脳梗塞後遺症のリハビリで多用されていた。

 犠牲者の合同葬儀で、東大付属病院の大島良雄院長は事故の原因解明に全力を挙げ、その成果を霊前に報告すると述べた。原因解明は進まなかったが、事故から半年後に本富士署は、明石助手がタンクに持ち込んだ眼底撮影用のカメラの電源がショートして、3気圧の純粋酸素が爆発したと発表した。

 高圧酸素療法では酸素濃度が高いため、ちょっとした火花でも爆発的に燃える危険性があった。米国では患者に木綿の下着を着せ、頭髪を布でくるみ、静電気が発生しないように配慮していた。明石助手は高圧酸素療法の権威者で、昭和42年に岐阜で患者がタンク内に携帯用のカイロを持ち込んで起きた爆発事故(患者は焼死)でも調査に参加していた。高圧酸素療法による爆発事故は、山梨市の山梨厚生病院でも起きていて、治療中の患者と付き添いの夫人が死亡している。