ボンカレーの発売

【ボンカレーの発売】昭和42年(1967年)

 昭和33年8月25日、「チキンラーメン」が即席ラーメンとして世界で初めて日清食品から発売された。この即席ラーメンと並んで世界で初めて開発されたレトルト食品が「ボンカレー」だった。袋のまま湯でゆでて3分間待つだけのボンカレー(大塚食品)が、昭和42年に80円で発売された。食堂のカレーが100円程度なのに、ボンカレーは80円だった。高すぎると小売店の評価は散々だったが、3分間で出来上がる手軽さが受け、やがて若者を中心に急速に浸透し始めた。

 大塚化学の社長・大塚正士(まさひと)は、昭和39年にカレー粉の製造会社を買収した。しかしカレー業界は競争が激しく、他社と同じものを作っては勝てないと思っていた。そこでNASA(米航空宇宙局)が宇宙食として研究していたレトルトパックを利用し、缶詰に代わる保存食として調理済みのカレーを袋詰めにする商品を開発した。

 大塚グループには点滴を製造する医薬品部門があったため、液体をパックに詰める技術や殺菌技術を持っていた。ボンカレーのボンはフランス語のBON(おいしい)を意味していた。当時のテレビドラマ「琴姫七変化」で人気絶頂だった女優・松山容子がボンカレーの宣伝に起用され、着物姿の松山容子の微笑む笑顔が、日本の優しいお母さんのイメージをつくった。当時の雑貨屋が並ぶ街並みには、松山容子の微笑む看板をよく見ることができ、全国に掲げられた松山容子の看板は9万5000枚に達していた。

 ボンカレーは発売から35年間で、20億食以上を売り上げ、現在では年間約500億円市場に成長している。レトルトカレー市場のシェアは、ハウス食品が約40%、エスビー食品、大塚食品の順になるが、単品ではボンカレーが王座を守っている。

 チキンラーメン、ボンカレーなどのインスタント食品は、簡単で手間がはぶけ、値段が安く、時間がかからない利点があった。そのため、インスタントコーヒー、即席しるこ、チャーハンの素、粉末ジュースなどさまざまなインスタント食品が開発された。