XYY症候群

XYY症候群 昭和50年(1975年)

 昭和50年3月9日、東京・八丈島で1人旅をしていた東京都内の東電病院の看護師・江尻あさ子さんが八丈富士の山頂で殺害された。江尻さんは休みを利用して、前日の8日、東京の竹芝桟橋からフリージア丸に乗り、予約していた民宿に泊まった。民宿には身体の大きな迷彩服を着た男性も泊まっていて、翌朝、朝食を済ませた2人は八丈富士に行くと言って民宿を出たが、翌日になっても帰ってこなかった。民宿の主人が八丈島警察署に連絡、捜索の結果、江尻さんが八丈富士噴火口近くで死んでいるのが発見された。平和な島での殺人事件に、島中が騒然となった。

 同署は、迷彩服を着た男性を犯人とみて捜査を始めた。なにしろ迷彩服を着た大男である。目撃者は次々と現れ、全日空機で八丈島を発っていたことが分かった。犯行の翌日、警察は迷彩の男性を茨城県出身の元パチンコ店員A(22)と断定、殺人容疑で全国に指名手配した。Aは1週間後の8月16日、那覇市の東急ホテルで逮捕された。Aは逮捕までの1週間、北海道から沖縄まで全国をまたに逃避行していた。

 逮捕されたときAは、「今度の旅行は殺しのためだった。相手は誰でもよかった」というメモを持っていた。さらに「暴行しようとしたが騒がれたため、殺害した」とメモに書かれていた。Aは幼少時から放浪癖があって、幼稚園児のとき何度も家出をして保護されていた。小学生になると盗癖が加わり、何回か少年刑務所に入った。AはXYY症候群というの染色体異常であることが分かっていた。この殺人事件を知ったとき、Aを知る精神科医は以前からの不安がついに現実になったと思った。

 当時の精神科の医師たちは、犯罪者を遺伝あるいは環境因子で説明しようとしていた。犯罪者を一般市民から区別するための科学的方法を見つけようとしていた。かつてイタリアの犯罪学者ロンブローゾは、顔や頭蓋骨の形から犯罪者を識別しようとした。同様に、昭和40年代ごろから遺伝子や染色体が犯罪に関係するとして研究されていた。

 人の染色体は23対(46本)で、22対の常染色体は男女同じであるが、23対目の1本だけが男女で違っていた。正常な男性は1本のX染色体と1本のY染色体を持っていて、正常な女性には2本のX染色体がある。性染色体異常のXYY症候群(別名スーパー・メール症候群)は、男性700人に1人の割合で見られた。男性染色体が1本多いXYY症候群の男性は背が高く、男っぽい顔立ちで、犯罪率が高いことが英国で発表され、染色体異常による犯罪学説は教科書にも記載された。殺人者の90%が男性で、犯行年齢は20歳代がピークで、テストステロンの血中濃度と犯罪年齢が相関していたことから、この犯罪学説は支持されていた。

 昭和41年7月13日の深夜、米シカゴの病院で看護師8人が惨殺される事件が起きた。看護師の両手を後ろ手に縛り、ナイフで刺し殺す。このような残忍な犯罪は犯罪都市シカゴでも類を見ないものだった。1週間後、リチャード・スペックという男性が逮捕され、この殺人鬼がXYY症候群であると報道された。このためこの染色体異常の男性すべてが凶暴で残忍な性格とする誤解を生じさせた。この事件が「犯罪に染色体が関係する学説」が広まるきっかけになった。犯罪者は生まれつき犯罪者になる素質があるとする誤解が広まったのである。

 昭和50年前後は、DNA(デオキシリボ核酸)、RNA(リボ核酸)、染色体が注目された時期で、特に犯罪学で脚光を浴びたのが染色体異常だった。昭和47年、殺人鬼スペックは懲役400〜1200年の刑を受け、平成3年に獄中死したが、実際はスペックの染色体はXYYではなく、通常のXYだったことが判明している。Y染色体が攻撃性染色体とされ、XYY染色体の持ち主は犯罪者という学説は、現在は統計上否定されているが、まだそれを誤解している人がいる。科学らしき学説が誤解と偏見を生み、間違った学説が独り歩きしていたのだった。

 犯罪が、遺伝あるいは環境によるものなのか、この問題について、遺伝的に同じである1卵性双生児の犯罪歴を調べた研究がある。出生後に別々の家庭で育てられた1卵性双生児を対象に犯罪率を調べ、別々の環境で育てられても1卵性双生児の犯罪率は同じだったとしている。この研究結果は犯罪に遺伝が関与することを示しているが、この研究結果が本当かどうかは検証されていない。遺伝と犯罪の関係について、当時は盛んに研究されていたが、その関連性は現在では否定的である。

 ところで染色体異常にターナー症候群(X0)がある。ターナー症候群は女性だけに見られる染色体異常で、通常の女性の染色体はXXであるが、片方のXが欠けた状態(X0)で生まれた者をいう。ターナー症候群は無月経や性的未成熟で気付かれることが多いが、この染色体異常とは逆にY0染色体の人間は存在しない。このようにX0で生命が維持でき、Y0で生命が維持できないことから、人間を含めて哺乳類の原型は女性とする説がある。

 看護師殺しで殺人罪に問われたAに対し、東京地裁の林修裁判長は「残虐な犯行で社会に与えた影響は大きい」として懲役13年の判決を言い渡した。