逆恨み2院長刺殺事件

【逆恨み2院長刺殺事件】昭和44年(1969年)

 昭和44年12月29日午前11時頃、大阪市住吉区の丸毛医院に、かつて性病の治療を受けた無職の少年A(19)が刺身包丁を持って押し掛け、診察室でカルテを書いていた丸毛博昭院長(41)の腹部をいきなり刺して自転車で逃走した。Aは次に、約100メートル離れた松崎診療所に上がり込み、松崎和郎院長(41)の左腹部を刺し、さらに約200メートル離れた成山医院で、診療中の成山院長の顔などを数回殴って逃げた。

 刺された丸毛院長と松崎院長の2人は死亡、成山院長は全治5日間のけがを負った。住吉署は血まみれのまま自宅に帰ったAを逮捕、犯行の動機を追及した。Aは犯行6カ月前に西成の旧飛田新地で女性と遊び、その後体調不良になり、大阪市立大付属病院を受診して淋病と診断された。驚いたAはすぐに治療を受け、淋病は治ったといわれたが、それでも患部の違和感が取れなかった。

 「もしかして、淋病が完治してないのかもしれない」「淋病ではなく梅毒かもしれない」、このように思い込んだAは、近くの病院や医院を次々に受診したが、どの病院も検査は正常で治っている、単なる思い込みと言われた。Aは医師たちが真剣に診察していないと誤解し、怒りを募らせていた。性病ノイローゼになったAは、医師たちに復讐を誓った。

 Aは金物屋から刃渡り22センチの刺身包丁を買い、住之江市民病院へ向かったが、病院は年末で休診だった。そこでAは丸毛医院、松崎診療所と次々に襲撃した。Aは「自分の命はあと1年。医者は何もしてくれない」と家族に話しており、極めて発作的な犯行だった。