栗山病院事件

【栗山病院事件】昭和43年(1968年)

 昭和43年12月24日、大阪の精神病院・栗山病院で患者16人に院長や職員が暴行を加え、患者1人が死亡する事件が起きた。栗山病院は患者への待遇が悪く、職員による患者への暴行が繰り返され、患者たちは病院からの脱走を計画していた。

 院長や職員は患者を裸にしてバットでメッタ打ちにして死亡させ、死亡した患者は急性肺炎として処理していた。この事件が発覚したのは、一部始終を見ていた患者の1人が真相を書いた手紙を何度も窓から外に投げつけ、それを拾った通行人が警察に届けられたのである。警察の調査によってこの暴行事件が明らかとなり、事件から約10カ月後に大阪府警の立ち入り調査が行われ、犯行を認めた院長は懲役3年、ほかの職員にも有罪判決が下った。

 精神科病院による患者の暴行事件は栗山病院だけではなかった。昭和44年には、大阪の安田病院で看護人3人が男性患者をバットで殴り死亡させ、昭和55年には、大阪の大和川病院で看護人が男性患者に暴行を加え死亡させている。

 昭和59年には宇都宮病院でリンチによる患者死亡が大きく報道され、新聞・テレビなどで連日取り上げられたことから、このような暴行事件はなくなると思われていた。だが平成9年には、高知県・山本病院で職員2人が女性患者の頭を壁に打ちつけて死亡させ、平成10年には、北海道の平松病院で患者が職員の暴行によって死亡している。精神科病院は世間から隔離されているので、このように精神障害者の人権を無視する暴行事件が続発するのだった。