日照権訴訟

【日照権訴訟】昭和47年(1972年)

 日照権とは「一定の期間、日照、通風を受けて快適で健康な生活を送れる権利」のことである。それまで日照権は、隣地の未利用に基づく恩恵にすぎないとされ、法律的には日陰者の権利と言われていた。騒音や振動は加害者の不法行為とされたが、日照権は自然にあるものがなくなることから違法行為とは認められなかった。しかし都市の密集化、違法増築、高層ビル建設をめぐり、周辺住民が「家に日光が差し込まなくなる」として、建設差し止めを求めて訴訟を起こすようになった。

 昭和47年6月27日、最高裁判所は日本で初めて「日照権は法的保護に値する」と判断を下した。しかしこの判決は、違法建築によって日当たりが悪くなったとして、損害賠償20万円を認めたにすぎなかった。違法建築が理由であって、日照権そのものを認めたのではなかった。

 わが国の法律には、建築基準法などの規制はあるが、日照権は明文化されていなかった。日照権を明文化した法律が求められたが、権利の保護と乱用が裏腹の関係にあったため、難しい問題であった。日照権は「社会生活上の我慢できる範囲であるか否か」によって判断され、我慢の範囲が常に議論になった。

 日照権が流行語になり、日照権の侵害と騒ぐケース、日照権を利用して失われた美観を訴えるケースが急増した。日照権は賠償金が絡むことから、新しい権利の乱用にもつながった。日照権争いの裏には、気に入らない隣人との感情のもつれがあった。

 昭和47年9月、札幌地裁は札幌市の住民が起こした日本住宅公団への日照権損害賠償訴訟で、住民勝訴の判決を下し、このことから日照権の社会的認知が急速に進んだ。