新宿赤十字・新生児結核事件

【新宿赤十字・新生児結核事件】昭和40年(1965年)

 昭和40年10月、東京都牛込保健所が乳児の3カ月検診を行ったところ、ツベルクリン反応陽性の乳児が数人見つかった。検査を受けた42人中、強陽性が1人、陽性が2人、疑陽性が27人、陰性が12人だった。このことは、結核の集団感染を思わせる結果だった。

 乳児はいずれも西大久保にある新宿赤十字産院で生まれていて、3人の乳児の胸部レントゲン写真を撮ったところ肺結核が確認され、ほかの3人の乳児も結核に感染していた。1つの産院で産まれた乳児から、結核患者が集団で発生することは異例のことであった。

 牛込保健所は乳児結核の集団感染として都衛生局に報告、調査が開始された。昭和40年に新宿赤十字産院で生まれた乳児は1237人だったが、結核を発症したのは同年6月から7月にかけて出産した乳児に限られていた。

 最終的に乳児29人が結核を発症し、1人が死亡。死亡した乳児の胃液から結核菌が検出された。結核の感染ルートは不明だったが、乳児、あるいは病院職員からの感染とされた。感染を受けた乳児は肺門リンパ節の腫大が認められ、経口感染ではなく経気感染とされた。

 結核菌は日光に弱く約30分で死滅するが、空気中の小さなチリに付着した場合には約10時間、痰の中では1日以上生存する。そのため、閉鎖された狭い空間ではこのような集団感染が起きやすかった。

 新宿赤十字産院の未熟児センターは、昭和39年に完成したばかりで、ベッド数90床、東洋一の規模を誇っていが、結核の院内集団感染としては日本初例の病院となった。この乳児集団結核に関する調査については、岩崎龍郎が詳細に報告している(日本医師会雑誌。56:1140〜1146,1966)。