在郷軍人病(レジオネラ症)

在郷軍人病(レジオネラ症) 昭和51年(1976年)

 昭和51年7月21日、第58回米国在郷軍人大会が米ペンシルベニア州フィラデルフィアで開催された。大会は米国建国200年と重なったこともあって盛大に行われ、参加した在郷軍人(退役軍人)のうち家族を含めた1500人がベルビューストラトフォード・ホテルに滞在した。しかし大会3日目から、高重症肺炎患者が多数出現し大騒ぎとなった。患者の多くは在郷軍人であったが、一般の宿泊客、ホテル従業員、通行人も発病し、発症総数は221人、入院患者は152人で34人が死亡した。

 患者の3分の2が在郷軍人とその家族だったことから、この原因不明の病気は在郷軍人(Legionnaire)病(レジオネラ症)と呼ばれるようになった。平均発症年齢は54.7歳で、高齢者ほど罹患(りかん)しやすく、死亡率が高かった。疫学調査を待たなくても、ベルビューストラトフォード・ホテルが感染源であることは明らかだった。しかし感染経路は分からず、在郷軍人病は呪われた疾患のような謎に包まれ、細菌兵器もうわさされた。

 死亡者の解剖で得られた肺を、モルモットの腹腔に接種すると、モルモットは死亡し、モルモットの臓器には多数の細菌が増殖していた。もしこの細菌が原因菌であれば、患者の血清にはこの細菌への抗体ができているはずである。そこで保存していた33人の患者血清を調べると、29人からこの菌に反応する抗体が見つかった。同年12月、米国疾病管理予防センター(CDC)は、それまで知られていなかったグラム陰性桿(かん)菌を原因菌と発表、この細菌をレジオネラと命名した。この事件が世界で初めての在郷軍人病の報告となった。ベルビューストラトフォード・ホテルは由緒あるホテルであったが、在郷軍人病により倒産した。病気によって倒産したホテルは、これが唯一のケースである。

 CDCは、これまで原因不明で亡くなった患者の血清を調べ、昭和38年頃から在郷軍人病が世界各地で流行していたことを突き止めた。レジオネラ菌は、冷却塔、温泉、加湿器などで繁殖し、これが空気中に飛散して感染するのだった。今回の事件は、ホテルの空調設備の冷却水がエーロゾル(煙霧質)となって菌をまき散らしたのだった。

 レジオネラ菌は自然界の土壌や川、湖などに生息して、全世界に分布して41菌種あることが分かっている。レジオネラ菌はアメーバや藻類と共生し、1本のべん毛を持ち運動性があった。レジオネラ菌によって引き起こされる疾患は、劇症型の「レジオネラ肺炎」が9割で、1割が軽症の「ポンティアック熱」である。両者とも、ヒトからヒトへの2次感染はなく、共通しているのは空調設備などが感染源となることである。

 レジオネラ症の劇症型は適切な治療を行わなければ数日以内に死亡する。最初は全身倦怠、疲労感、頭痛、筋肉痛、寒気、下痢などの症状で、その後に急激な発熱が出現、せきはあるがたんは少なく(乾性咳嗽)、呼吸困難が見られ、意識障害、傾眠、幻覚、歩行障害などの精神神経症状をきたした。

 軽症型のポンティアック熱(Pontiac fever)は、昭和43年7月から8月に米ミシガン州オークランド郡の人口約8万4000人のポンティアック市で発生した。同郡保健部の建物の中で、144人の患者が集団発生したことから、この名前が付けられた。保健部で働いていた100人中95人、保健部を訪れた170人中49人が発症した。当時、ポンティアック熱の病原体は不明だったが、保存されていた空調システムの水にレジオネラ菌が存在することが昭和52年になって明らかになった。また患者の保存血液の84%にレジオネラ抗体価の上昇が認められた。そのためレジオネラ菌を含んだエアロゾルを吸い込み、集団発生したとされている。ポンティアック熱は軽症で、抗生物質を投与ななくても治癒し、死亡例の報告はない。症状としては発熱、咽頭痛などでインフルエンザに似た一過性の疾患である。

 日本では、昭和55年10月の男性(64)の死亡例がレジオネラ症の初例で、以後、毎年のように患者が報告されている。平成8年、慶応大付属病院で3人の新生児がレジオネラ症に感染、うち1人の女児が死亡している。その女児は退院後に発症し、再入院後に死亡したのだった。病理解剖の結果、レジオネラ感染が死因であること分かった。新生児室の温水タンクの蛇口や加湿器からレジオネラ菌が検出された。レジオネラ菌が死滅するのは60℃であるが、タンクの蛇口付近の温度は約50℃で、温水タンクのお湯を使った加湿器によって病院内に菌が散布されていたのだった。

 国内では循環型温泉で集団発症する例が多い。平成12年4月、静岡県掛川市つま恋温泉森林の森で23人が感染して2人が死亡。平成12年6月には、茨城県石岡市の総合福祉センターで45人が感染して3人が死亡。同14年7月には、宮崎県日向市の温泉利用入浴施設で295人が感染して7人が死亡している。

 昭和60年には、英スタンフォードの病院で163人が院内感染し、46人が死亡する大規模な集団発生が起きている。この集団感染により、英国では空調設備の冷却水を厳しく管理するようになった。

 レジオネラ菌は細胞内に寄生する細菌なので、治療には宿主細胞に浸透するエリスロマイシン、リファンピシン、ニューキノロンなどの抗菌薬を使用する。レジオネラ症は現在4類感染症疾患に指定され、レジオネラ症と診断した医師は7日以内に保健所に届け出る義務がある。