因島関節結核集団感染事件

【因島関節結核集団感染事件】昭和45年(1970年)

 昭和45年から46年にかけて、広島県因島市の奥医院を受診していた90数人の患者が、神経痛の治療などでステロイドの関節内注入を受け、関節結核に集団感染して14人が死亡していた。関節内に注射器で薬剤を注入する治療は特に珍しいものではないが、注射器の消毒が不十分だったことが集団感染の原因とされている。同院に勤めていた見習い看護師が当時結核に罹患しており、昭和45年に粟粒結核で死亡していた。このことから見習い看護師によって結核菌が蔓延ていたと考えられた。

 注射をした医師の責任が問われたが、その医師もまた死亡し、医院は閉鎖された。昭和50年、患者ら238人は総額38億円の損害賠償を国に請求する訴訟を起こした。国および県が予防措置や対策を講じなかったとして監督責任を追及した。しかし平成6年、広島高等裁判所は行政責任を否定し、原告の請求を退けた。知事、保健所長に結核予防法上および医療法上の作為義務違反は認められないと判断したのである。