九大構内に米戦闘機墜落

【九大構内に米戦闘機墜落】昭和43年(1968年)

 昭和43年6月2日の夜10時半頃、福岡市箱崎の九州大学工学部構内の大型電算機センタービルに、米空軍のF4ファントム戦闘爆撃機が墜落して炎上した。戦闘機は板付米軍基地(現福岡空港)で夜間離着陸訓練を行っていたが、着陸に失敗したのだった。機体と燃料が飛び散り電算機センターは炎上した。乗員2人は墜落直前にパラシュートで脱出して無事だった。板付米軍基地は福岡空港と併用しており、付近の住民は市街地にある米軍基地の恐ろしさを見せつけられた。

 水野高明九大学長が先頭に立ち、抗議集会とデモが行われた。九大構内で開かれた抗議集会には九大の学生約2000人が参加、大濠の米領事館へデモをかけた。福岡市役所前では、社会党、共産両党、福岡県評、福岡地区労が、「板付米軍基地撤去・日米合同演習即時中止市民集会」を主催し、参加した労組員ら2500人が領事館へ抗議デモを行った。一般市民を巻き込んだ抗議行動は、ベトナム戦争反対の運動を高め、全国的な反戦運動の後押しをすることになった。

 米軍のウィルキンソン参謀長は、事故について遺憾の意を表明。事故原因が究明されるまで板付基地では必要な場合以外、夜間飛行は行わないと表明した。この米戦闘機墜落事故は学生運動の気運を高め、機体の片づけ作業をめぐって大学当局と意見が対立した。