丙午(ひのえうま)

【丙午(ひのえうま)】昭和41年(1966年)

 丙午の年は災害が多く、その年に生まれた女性は「気性が荒く、夫を食い殺す」という迷信があった。江戸時代、男に会いたい恋しさから放火の大罪を犯した「八百屋お七」が丙午生まれだったことから、この迷信が広がった。

 丙午は60年に1度なので、昭和41年は明治39年以来の年となった。明治39年生まれの女性の多くは、丙午が原因で嫁にいけなかったとされているが、昭和41年は、ソ連の無人探査機が人類初の月面への軟着陸に成功、ビートルズが来日し、集英社が週刊プレイボーイを創刊した年である。高度経済成長の時代にこのような非科学的迷信は忘れ去られていたと思われていた。ところが親の考えは違っていた。昭和41年の出生数は135万人で、昭和40年に比べ約50万人、29%も激減した。出生数は明治39年の丙午以来最低となり、「へこみの世代」となった。日本には清め塩、北まくら、数字の4、家相などの迷信があるが、このような迷信が現代日本でまだ生きていたのである。

 ここで問題になるのは、明治39年の丙午の年の出生減少率は4%で、昭和の方が明治より丙午迷信の影響が7倍高かったことである。これは医療の進歩で人工中絶がしやすくなったのではなく、多すぎる情報によると考えられる。つまり無知による迷信や偏見よりも、生半可な知識が偏見をつくったのであろう。

 しかしながら、昭和41年に生まれた女性が結婚するのに、丙午を理由に相手の両親が反対することは少なくなった。丙午の紀子様が皇室に嫁がれたが、紀子様が丙午生まれであることは話題にもならなかった。次の丙午は平成28年である。果たして平成28年の出生率はどうなるであろうか。いやそれ以上に、昭和41年の出生数は135万人であるが、平成15年は112万人で、丙午以上に少ない平成以降の低出産を憂うべきである。