ミニスカート

【ミニスカート】昭和42年(1967年)

 昭和42年10月18日、英国のスパーモデル・ツイッギーが来日。彼女はひざ上30センチのミニスカートで記者会見に臨んだ。カートからすらりと伸びる脚線の美しさは、男性の目を楽しませ、女性に新たな美意識をもたらした。

 ツイッギー人気はたちまちツイッギー旋風、ミニスカートブームを引き起こした。ツイッギーという名前は「小枝」を意味し、身長167センチ、バスト75.5センチ、ウエスト55センチ、ヒップ84.5センチの体型は、まさに小枝のようであった。小柄で華奢な体型ゆえにミニスカートがよく似合った。

 妖精のように愛くるしい笑顔、ボーイッシュなヘアスタイル、大きな瞳と独特なメイク。ツイッギーはミニスカートの女王として一世を風靡(ふうび)した。彼女は森永製菓などのCMにも出演し、ミニスカートはあっという間に全国に広まった。駅の階段では目のやり場に困り、女子高ではスカート丈の指導が毎日のように行われ、メガネをかけた大学の女性教官もいつの間にかミニスカートに変わっていた。

 ツイッギーの登場は世界のファッションを変えたが、ミニスカートを仕掛けたのは英国のデザイナー、マリー・クワントであった。それまでの女性ファッションは、映画「ティファニーで朝食を」のオードリー・ヘップバーンのように、品の良いスーツや長いスカート、大きなつばの帽子と長い手袋が定番であった。そのひざ下のスカートをひざ上に変え、女性のファッションを変えてしまった。ミニスカートは街を華やかにしたが、本当の目的は、新しい生き方を模索している女性に自信と自覚を持たせるためのデザインであった。

 時代の流れを反映させ、既成のファッションを変えたマリー・クワントは、英国に巨額の外貨をもたらし「英帝国勲章」を受賞した。この時代、ビートルズの登場で音楽が変わり、ツイッギーの登場で女性ファッションが変わった。その一方で、フーテン族やヒッピー族も現れ、マスコミはこの世相を昭和元禄と評した。同じ時代、中国では文化大革命が燃えさかったが、ビートルズやツイッギーの方が文化大革命の言葉にふさわしいように思える。