ニセ医者事件

【ニセ医者事件】昭和47年(1972年)

 厚生省は、多発するニセ医者事件に対応するため、都道府県衛生部や保健所に配置している医療監視員3200人を動員して、病院や診療所で働く医師の医師免許証を1枚1枚確認することになった。昭和47年1月19日、この日の総点検で、ニセ医者109人が摘発された。ここで興味深いのは、摘発されたニセ医者の多くは評判がよく、患者に親切で優れた名医と思われていたことである。もちろん、怪しげな医療を施し、金儲けに専念するニセ医者もいたが、それはごく少数だった。本来ニセ医者ならば、診療上のミスで発覚するはずだが、そのようなケースはなかった。このようにニセ医者が多発したのは、医師不足と高収入が原因だった。

 ニセ医者は昭和44年頃から増え続け、昭和55年まで年間30人から140人前後が摘発されていた。ニセ医者の約7割が開業し、他人名義の医師免許証を利用していた。全国的な医師不足から、公立の診療所に就職していた者も少なくなかった。

 大阪府の現職歯科医師会長がニセ医師を雇っていたことが発覚。ニセ医師を雇っていた歯科医師も共同正犯として告発された。ニセ医者は医療関係者がに多かったが、全く医療とは関係のない職業の者もいた。それとは別に、医師の妻、放射線技師、検査技師などが、病院で働いているうちに資格の範囲を超えて診療行為を行うケースもあり、多くの逮捕者が出た。

 ニセ医者事件は、数年にわたりマスコミをにぎわした。大阪市大淀区(現北区)の斉藤病院では当時4人の医師がいたが、院長を含め3人がニセ医者であった。逮捕されるまで2万人以上の患者を診察していたニセ医者、帝王切開を行っていた産婦人科医、マスコミで有名になったセックス・カウンセラーなどが摘発され、多くの人たちを驚かした。