ストックホルム症候群

【ストックホルム症候群】昭和43年(1968年)

 昭和43年8月23日、スウェーデンのストックホルムの銀行に強盗が入り、2人の犯人が4人の女性職員を人質に立てこもった。人質は6日後に解放されたが、不思議なことに、被害者である人質が犯人をかばう証言をしたのだった。さらに犯人が寝ている間、人質が警官に銃を向けていたことが分かった。人質の女性は犯人に同情や愛情を向け、感謝すべき警察に、敵意を持っていた。そして人質の女性が、犯人と結婚するに至った。

 このように誘拐や監禁などの被害者が、極度の恐怖心の中で、犯人への同情、連帯感、好意を持つ心理は、後にストックホルム症候群と命名された。本来、憎むべき犯人との間に妙な信頼関係が生じ、それが愛情へと変化するのである。ストックホルム症候群は、犯人と長時間接しているうちに起きやすいとされ、犯人と話しているうちに、同じ人間であること、同じ時間を共有していることから、憎しみが親密感と同情に変わり、共感から愛情が生まれるのである。

 昭和49年、米国カリフォルニア州で1人の女性が誘拐された。誘拐されたのは大学2年生のパトリシア・ハーストで、彼女は米国でも十指に入る大富豪ハースト家の令嬢だった。犯人は過激派組織(SLA)で、貧民や虐げられた黒人や有色人種の解放を求めた。SLAは、「パトリシアの解放と引き換えに、カリフォルニアの貧民1人につき月70ドルを出せ!」と要求。それは日本円にして1カ月1220億円に相当する大金だった。大富豪のハースト家といえども支払える額ではなかった。そのためパトリシアは解放されずにいた。

 マスコミは連日連夜、この誘拐事件を大々的に取り上げ、さまざまな憶測が広がっていった。この事件は一体どうなるのか? 大衆はかたずをのんで見守ったが、事件はあまりに意外な展開を見せた。誘拐事件から2カ月後、SLAはサンフランシスコの銀行を襲撃、そのときの銀行の監視カメラに、誘拐されたはずのパトリシアがマシンガンを持ち、SLAメンバーといっしょに銀行に押し入る姿が映し出されたのである。SLAの犯人6人はアジトを急襲され射殺。パトリシアは逃亡するが、その後FBIに逮捕され、懲役7年の刑罰を受けることになった。誘拐された大富豪の娘がなぜ過激派の一味に加わったのか。この現象が典型的なストックホルム症候群である。

 同じようなことは、平成8年にペルーで発生した日本大使公邸占拠事件でも、逆の形で起きている。若いゲリラは人質と生活を共にするうちに、日本の文化や環境に興味を示すようになり、人質に親近感を持つようになった。ペルー軍特殊部隊が強行突入したとき、犯人は人質を殺さず特殊部隊に射殺されたが、これも逆の意味でのストックホルム症候群とされている。