カラオケ

 昭和51年ころからカラオケがはやり始めた。このカラオケは、昭和47年ごろ神戸市三宮の井上大祐さんが伴奏音楽をテープに録音したのが始まりとされている。
 それまでの日本の酒場やスナックでは、流しや弾き語りが、客に歌を聞かせるのが一般的であった。ところが神戸では客が歌い、客の歌に合わせて流しが伴奏する独特の風土があった。伴奏者として有名だった井上大祐さんは多くの店から呼ばれたが、すべてに応じられないで困っていた。そこになじみの客から「社員旅行で使いたいので、伴奏だけをいれたテープが欲しい」と依頼された。そこでテープに曲を録音しておけば、演奏者がいなくても誰でも歌えることに気づき、カラオケテープのアイデアが生まれた。
 井上大佑さんはマイク端子付き8トラックプレーヤーを手作りで製作し、録音した伴奏テープ10巻(40曲)をスナックへ貸しだした。料金は1曲5分間で100円だったが、神戸市の客の人気は高かった。テープをレンタルにしたことで新曲にすぐに対応できる利点があった。そしてこの評判からカラオケが業務用として普及することになった。カラオケは素人が歌いやすいようにアレンジしていた。
 井上大佑さんの名前を知るひとは少ないが、米誌タイムの「20世紀アジアの20人」に選ばれている。毛沢東、ガンジー、昭和天皇と肩を並べて井上大佑さんの名前が載っている。タイム誌が「世界的文化の発信者」と絶賛したが、日本では「井上大佑とは、いったい何者?」と話題になった。井上大佑さんは特許を申請しなかったが、もし特許を得ていたら年収100億円と試算されている。
 昭和51年、日本ビクターとクラリオンが業務用の「カラオケ」を発売、カラオケは急速に普及した。スナックの入り口には「カラオケあります」の張り紙が張られ、カラオケ目当ての客が群れをなし、一度マイクを持つと、すぐにマイク中毒になった。当初は30から40代のサラリーマンがスナックで演歌を歌うのが一般的であったが、すぐに客層が広がり、歌える曲も多彩となった。

 カラオケの流行は生活水準が向上し、余暇を楽しむ余裕が出てきたことに関連していた。歌うことに飢えていた大衆、歌いたくても歌う場所がなかった人たちにとって、カラオケはその欲求不満を解消してくれた。「カラオケ」は「空っぽオーケストラ」の略で、演奏する者がいなくても、歌う者にとっては自分が歌手になった気分にしてくれた。専属バンドをバックに歌っている快感をもたらした。集団主義の日本社会において、たまには目立ちたい、注目されたいという欲望を満たしてくれた。それは音楽の新しい形態だった。
 昭和53年8月にビデオカラオケが登場。それまでは歌詞カードを見ながら歌っていたが、ビデオカラオケはテレビに映る歌詞とイメージ画像を見ながら歌うものであった。さらに「自宅でもカラオケ」という欲求から、松下電器がホームカラオケを発売しヒット商品になった。それ以降、各メーカーが次々と参入した。
  カラオケが急速に広まったのは、歌うことが好きな国民性、人前で歌うという自己陶酔や満足感などが普及の理由と考えられる。もちろんカラオケが好きな人もいれば嫌いな人もいる。カラオケが好きな人は、楽しい、気分爽快、歌うことが好き、ストレス解消などが理由で、その反対にカラオケが嫌いな人は、人前で歌うのはイヤ、歌える曲がない、気分がのらない、歌がうまくない、他人の歌を聴きたくない、歌うことの強要への反発などを理由にあげている。
 カラオケが普及するとともに、各地でカラオケによるトラブルが起きた。カラオケには酒が入ることから、客同士のケンカが目立つようになった。昭和53年6月16日、長野県塩尻市のスナックで最初のカラオケ殺人がおきた。「俺の耳が腐る、やめろ、へたくそ」このヤジが口論のきっかけとなって殺人となった。その他「おれの歌をなぜ聞けない」といった口論、あるいはマイクの奪い合いによる乱闘などがおきた。
 また深夜早朝の「カラオケ騒音」は騒音被害のトップとなり、「カラオケ騒音」は日本中に広がった。昭和53年7月、大阪府警はカラオケ騒音に公害防止法を適応、豊中市のスナックからカラオケ装置を押収した。昭和54年には、大阪の八尾市でカラオケ防止騒音条例が施行された。
 昭和57年、「レーザーカラオケ」がパイオニアから発売されファンのすそ野が広がった。さらに昭和60年、コンテナを利用した「カラオケボックス」が岡山県に登場した。
 当初、カラオケボックスはその密室性から非行の温床になるとして住民の抵抗があった。しかし反対はあったものの、娯楽の少ない地方都市にカラオケボックスは広がり、次第に全国的に普及していった。カラオケボックスの登場によって若者や主婦の間にもカラオケが流行し、客の低年齢化が進んでいった。平成4年には「通信カラオケ」が登場、いろいろな機能がついたカラオケが登場することになる。
 「カラオケ」は海外にも輸出され、外国でも有名となった。世界的にみると、欧米人よりアジア人、アジア人のなかでも日本人がカラオケ好きとされている。カラオケは日本が世界に誇る数少ない文化のひとつとなった。平成6年の「レジャー白書」によると、カラオケを楽しんでいるのは年間5800万人、つまり日本人の半数がカラオケで楽しんでいることになる。まさに日本が生んだ庶民文化である。
 カラオケの利用者数は平成8年をピークに減少している。この減少は余暇の多様化、携帯電話の普及、歌える曲の少なさによると思われる。サラリーマンの歌える演歌が少なくなり、若者の歌う曲はある程度の歌唱力が必要となったからである。それでも平成12年には4900万人がカラオケを利用し、子供からお年寄りまでの国民的な楽しみになっている。