ふぐ中毒

ふぐ中毒 昭和50年(1975年)

 昭和50年1月16日、人間国宝で人気絶頂の歌舞伎役者・坂東三津五郎さん(68)がふぐを食べ、京都で急死した。三津五郎さんがふぐを食べたのは1月15日の夜のことである。三津五郎さんは、京都・南座の正月興行「お吟さま」に千利休の役で出演し、その夜はひいき筋の建設業・守屋俊章氏の招待を受け、舞台がはねてから芸者ら5人と連れ立って料理屋「政」に食事に出掛けた。

 「政」は守屋氏のひいきの店で、調理人は人間国宝である三津五郎さんに「てっちり」のコースを選び、ふぐのキモ(肝臓)を添え物として出した。ふぐは秋の彼岸から春の彼岸までが旬で、特に寒のころが最もおいしい。食通で有名だった三津五郎さんが来店したので、「政」の調理人は腕によりをかけて料理を作った。

 ふぐのキモを料理として客に食べさせることは、京都の「ふぐ取締条例」で禁止されていたが、日本全国で禁止されていたわけではなく、許可している県もあった。そのため調理人としては、厳しく守るべき法律との認識はなかった。常連から「うまいものを頼む」と言われれば、法律で禁止されていても、キモを出すのが暗黙の了解となっていた。

 三津五郎さんは食通として知られていた。キモを出す方も、キモを食べる方も何のためらいもなかった。もちろん「政」の調理人はふぐ料理の免許を持っていた。

 夕食を終えた坂東三津五郎さんが、ほろ酔い気分でロイヤルホテルに戻ってきたのは午後11時ごろであった。宿泊先のホテルでは、妻のたね子さんが待っていて、三津五郎さんは上機嫌のまま布団に入った。三津五郎さんが苦しみ出したのは午前3時ごろだった。隣に寝ていたたね子さんを呼び起こし、「水がほしい」と訴えたが、そのときすでに呂律(ろれつ)が回っていなかった。たね子さんがコップを差し出したが、三津五郎さんはコップを持つことができなかった。意識はしっかりしていたが、舌がもつれ、手がしびれていた。

 フロントから連絡を受けたホテルの管理医師・泉谷守は三津五郎さんの症状からふぐ中毒と診断。救急車を呼び、右京区にある泉谷診療所に運んで救命処置を施したが、三津五郎さんは中毒症状から2時間足らずの午前4時40分に亡くなった。

 坂東三津五郎さんが死亡した事件で、料理屋「政」は京都府から10日間の営業停止を受け、調理人が業務上過失致死で調べられた。「政」は開業以来20年間、しばしばキモを出していたが、三津五郎さんの死亡が初めて経験するふぐ中毒であった。テトロドトキシンの致死量については著しい個人差があって、空腹、満腹、飲酒などによって異なるとされている。三津五郎さんと一緒に食事をした守屋氏や連れの芸者たちに中毒症状は見られず、三津五郎さんだけが犠牲者となった。ほかの4人は気味悪がってキモを食べず、三津五郎さんが4人分を食べたとされているが真相は不明である。

 人間国宝・坂東三津五郎さんは歌舞伎役者ばかりでなく、随筆家としても有名でエッセイスト・クラブ賞を受けたほどの文人だった。『ふぐの刺身や鍋料理はそれぞれ「てっさ」「てっちり」と名付けられているが、ふぐは当たると死ぬことから、鉄砲になぞらえて「てっぽう」とも呼ばれていた』三津五郎さんは、ふぐについてのエッセーでこのように書いていたが、自分が解説した通りふぐに当たって死んでしまった。料理屋「政」は、遺族に2600万円を払うことで和解。ふぐを料理した調理人は、執行猶予2年付きの禁固4月の判決を受けた。

 日本人が古くからふぐを食べていたことは、縄文時代の貝塚からふぐの骨が出土することから確かである。日本人は4000年前の縄文時代からふぐを好んで食べ、ふぐが毒を持つことは古くから知られていた。「ふぐは食べたし、命は惜しい」と例えられ、ふぐは命を賭けてでも味わいたいほど日本人の味覚に合っていた。豊臣秀吉の朝鮮出兵時に、下関に集結した武士がふぐの内臓を食べて死者が続出したことが記録に残されている。

 ふぐ中毒は、そのキモに含まれるテトロドトキシンによる。テトロドトキシンは明治42年に田原良純・東京大教授がふぐの卵巣から世界で初めて抽出し、ふぐの学名からその名前が付けられた。昭和25年に津田恭介・東京大薬学部教授がふぐ毒の結晶化に成功し、昭和39年には化学構造も解明された。このように、ふぐ毒は日本人研究者によって解明された。

 テトロドトキシンの毒性は青酸カリの500倍と強烈である。トラフグの場合、卵巣(まこ)で20グラム、肝臓(きも)で20グラム、腸で500グラムを食べると致死量となる。これは、トラフグ1匹の内臓で30人を殺すことができる毒性である。テトロドトキシンは、熱、酸、紫外線、消化液などで破壊されないため、煮ても、焼いても毒性に変化はない。

 ふぐの毒性は季節によって著しい差が見られる。一般に産卵期である11月から翌年3月までが最も毒性が強く、この時期はふぐの一番美味しい季節と重なる。またふぐ毒は個体差が著しく、トラフグの肝臓は産卵期であっても約半数には毒性がない。また有毒であっても弱毒なものから猛毒のものまでさまざまである。このように毒性にむらがあるので、油断を招き、中毒を招いた。

 テトロドトキシンは神経毒で、食後30分から3時間で、舌、唇、口、指先などにしびれが生じる。この程度であれば問題はないが、言葉がもつれ手足が麻痺して、嘔吐を繰り返すと重症となる。呼吸筋に麻痺をきたし、呼吸ができずに死亡する。発症から死亡までの時間は2時間から8時間で、8時間以降の死亡例はない。つまり発症から8時間生きていれば、後遺症を残さず回復するのである。夕方にふぐを食べ中毒を起こせば、夜間に生死が決まり、翌朝は何事もなかったようにケロッとしているか、葬式の準備のどちらかである。

 ふぐ毒は骨格筋を麻痺させるが、内臓の筋肉である平滑筋には影響を及ぼさない。それはふぐ毒が骨格筋や心臓のNaチャンネルの通過を遮断するためで、Naチャンネルを持たない平滑筋には影響を及ぼさない。この神経伝達の阻害作用は、昭和49年、楢崎利夫・米ノースウエスタン大教授によって明らかにされた。

 ふぐ毒は骨格筋を障害するが、意識は最後までしっかりしている。意識がしっかりしているのに、しゃべることができず、手足が動かず、呼吸ができない。そのため、ふぐ中毒は想像を絶する恐怖感を味わうことになる。死因は呼吸筋の麻痺なので、呼吸が停止してもしばらく心臓は動いている。

 人工呼吸器をつけて助かった者の証言では、周囲は完全な昏睡と自分を観察しているが、実際には意識があって周囲の話も分かっていた。瞳孔は散大、対光反射は消失し、主治医が脳死と判断しても、患者は周囲の言動を覚えているのである。

 テトロドトキシンは、ふぐが作り出すふぐ特有の毒とされていたが、最近になってテトロドトキシンはふぐ自体が産生する毒ではないことが分かっている。海水に含まれるシュワネラ・アルガ菌がふぐの体内で毒を産生し、これが濃縮されたものであった。つまりテトロドトキシンは海中に住むシュワネラ・アルガ菌が産生する毒素で、ふぐはこの細菌を食べて体内に毒素を蓄積させる作用を持っていたのである。このことからふぐ以外でも、巻き貝、イモリ、カエルなど多くの生物でテトロドトキシンが見いだされている。

 ふぐの能力はテトロドトキシンを作ることではなく、蓄積、濃縮することで、このふぐの能力は自分の身を守るための仕組みかもしれない。実際にふぐを刺激すると、メダカを殺すぐらいのテトロドトキシンを皮膚から放出する。ふぐ中毒は恐ろしいが、アルテロモナス属の細菌がいない海水でふぐを養殖すれば、無毒のふぐになる。日本の食卓にのぼるふぐの多くは養殖なので、市場に出されるふぐの半数は毒を持たない。このようにふぐ毒のメカニズムは養殖ふぐで証明された。

 ふぐに当たったときは、昔から「首まで土に埋めろ」と言われ、実際に行われていた。もちろん迷信であるが、迷信というよりもほかに治療法がなかったからである。ふぐ中毒は呼吸筋麻陣が死亡の原因なので、救命のためには呼吸管理が最も重要である。人工呼吸器がなかった時代のふぐ中毒の致死率は30%だったが、現在では人工呼吸器による呼吸管理により、致死率は6%と著しく改善されている。この60年間でふぐ中毒の患者数は7分の1に、致死率は5分の1に低下している。日本では年間20人から40人が発症し、死亡するのは数人程度である。

 現在でも死亡例があるのは、症状が夜間に起きやすいからで、助けを呼べない場合が多いせいである。特効薬や解毒剤はないが、呼吸管理さえ行えば、ふぐ毒は自然に排出されるので救命できる。もし何らかの症状が出たら、様子を見ようなどとは思わず、嘔吐させてすぐに救急車を呼ぶことである。

 ふぐ中毒のほとんどは家庭での素人料理によって、あるいは専門料理店以外で起きている。最近では自分で釣ったふぐ、もらったふぐを食べた例が大部分である。ふぐによる食中毒は日本だけでなく東南アジア、中国、台湾および韓国でも知られているが、欧米ではふぐを食べる習慣がないのでふぐ中毒の報告はない。またほかの魚がふぐを食べたらどうなるのか、興味があるが、ふぐを食べる魚がいないので本当のところは分からない。

 これまで最も大きなふぐ中毒事件は、昭和37年7月に北九州市で起きている。ベトナム沖で捕れたサバフグを食べた10人が発症し4人が死亡している。このほかふぐ中毒で有名なのは、昭和38年11月12日、大相撲九州場所中の佐渡ケ獄部屋で、ふぐが入ったちゃんこ鍋を食べた力士6人が口のしびれを訴えて病院に運ばれ、三段目・佐渡ノ花が死亡、3人の力士が重体となる事件がある。

 歌舞伎役者・坂東三津五郎さんがふぐ中毒で死亡してから1カ月後、鳥取県倉吉市の歯科医・木本正徳さん(46)が三朝温泉のホテル「山朝」に招待され、ふぐのキモを食べ6時間後に死亡した。ホテル山朝の社長と木本さんはゴルフ仲間で、木本さんが調理人に再三にわたりキモを要求したとされているが、経過については立場によって証言が違うことから、裁判所はホテルの過失責任を4割として、ホテルに賠償金6700万円の支払いを命じた。人間国宝の三津五郎さんの賠償額が2600万円で、木本さんは6700万円である。この金額に違和感を持つかもしれないが。木本さんの年収は1300万円で、ホフマン方式による正当な賠償額であった。

 ふぐに毒があることは誰でも知っている。そのためふぐ中毒は人災といえ、人災ゆえに防止可能である。ところで、ふぐの中でも猛毒があるのは卵巣であるが、この卵巣を調理した物騒な名物食品がある。金沢市周辺や能登地方で「フクノコ」と呼ばれるものだが、「フクノコ」はふぐの卵巣をかす漬けにしたものである。ふぐの卵巣を1年ぐらい塩漬けにして、その後イワシの塩汁と麹(こうじ)を加えてかすに漬け込み、重しを置いて2年以上発酵させたものである。毒は塩漬けの段階で卵巣外に流出し、残った毒は乳酸菌や酵母によって分解される。毒があろうと、知恵と工夫で何でも食べてしまう人間のどん欲さはすごいものである。