陣痛促進剤の多用

陣痛促進剤の多用 昭和49年(1974年)

 人類の誕生以来、ヒトの誕生と死は繰り返し営まれてきたが、女性たちが連綿と繰り返してきた出産は、戦後30年間で大きく変化した。今では病院での出産が一般的であるが、長い歴史の中で人々が病院で生まれるようになったのはごく最近のことである。終戦後のベビーブームの頃でも自宅出産が主流で、9割以上は産婆と呼ばれていた助産婦が主役であった。しかし時代の流れは、出産は助産婦から産科医へと変わり、昭和45年頃から病院での出産が当たり前になった。

 妊婦の心理からすれば、「病院での出産が安全」となるが、ここに大きな問題が生じてきた。昭和49年、日本母性保護産婦人科医会は「陣痛促進剤による事故が多発している」ことを全国の産婦人科医たちに警告。陣痛促進剤の使用上の注意事項を冊子にまとめて配布した。この警告にもかかわらず、助産婦や医師たちの陣痛促進剤への危険性の認識は足りなかった。そのため陣痛促進剤による被害者は増えるばかりだった。

 陣痛促進剤の特徴は、その収縮効果が妊婦によって100倍以上の違いがあり、陣痛促進剤は妊婦によって拷問のような陣痛をもたらすことがあった。そのため使用については、「1分間に3滴以下の少量から開始し、必要最小限の使用にとどめること」が注意事項となっていた。陣痛促進剤の使用は慎重にすべきであるが、この危険性が現場の医師や助産婦に徹底していなかった。陣痛促進剤を注射器で急速に注入する医師がいたほどである。

 出産児が脳性麻痺となる確率は、現在でも500分娩に1の割合で、出産には常にリスクを伴うが、出産は両親や親族の期待が大きいだけに、子供の障害は悲惨な状況を招くことになる。また出産には当然苦痛が伴うため、妊婦が訴える陣痛が、出産による正常の痛みなのか、陣痛促進剤による異常な痛みなのか、その判断を誤ると、子宮破裂、胎児死亡などの悲劇を生むことになる。

 子宮口がまだ十分に開かず、陣痛も弱いのに「微弱陣痛」の病名をつけて陣痛促進剤を安易に投与する傾向があった。妊婦が激痛を訴えても、「がまんが足りない」「だらしない」「痛みへの甘え」などと勝手に決めつけられることがあった。子宮破裂をきたした妊婦は、苦痛のために「病院のなかで、救急車を呼びたかった」と表現している。

 出産は曜日や時間に関係なく、妊娠37週(10カ月)を過ぎれば、いつ始まってもおかしくない。しかし計画出産の名目で陣痛促進剤が多用されると、曜日により、時間により出産数に違いがみられるようになった。平成7年の統計では、平日の出産は平均3500人なのに、土日、祭日はそれぞれ2500人で、出産数に1000人の差が出ている。もちろん人手の少ない深夜の出産は少なく、勤務時間内の出産が多い。このような曜日や時間による出産数の違いは、かつてはなかったことである。現在では助産師による出産は約1%と少ないが、法的に陣痛促進剤を使えない助産婦による出産は、曜日による差はみられず、出産時間は早朝に多く、夕方以降は少ないとされている。

 陣痛促進剤が過剰に使用されたのは、人手不足のため夜間や休日の分娩を避けたい病院側の事情があった。自然分娩を標榜(ひょうぼう)する病院では、少ない日の出産数はゼロ人、多い日は40人というように出産数に差があった。このような自然分娩では人件費がかかるので、陣痛促進剤を用いざるを得ない事情があった。

 もし休日や時間外出産の値段が高く設定されていれば、陣痛促進剤の使用は少なかったはずであるが、現在の医療システムではかなわぬことである。「陣痛促進剤の投与は、陣痛微弱という病気の治療」を意味しており、病院の収入を増やすことになった。もともと産婦人科医は激務の割に収入が少なく、土日や夜間の対応には人手不足であった。また昼間の方が急変に対応できる事情があった。つまり陣痛促進剤を用いなければ病院が成り立たない事情があったが、世間からは安易な金儲けと非難された。

 陣痛促進剤によって子宮破裂を引き起こして死亡する例、赤ちゃんが酸素不足から死亡する例が多くみられた。陣痛促進剤は「自然な分娩ではなく、薬剤による強制分娩」なので、陣痛促進剤の過剰投与や分娩監視体制の不備が事故を招くことになった。お産は病気ではないので、何かあれば家族の不信を残すことになる。医療訴訟全体の約3割を産婦人科が占めていることがそれを物語っている。

 陣痛促進剤は子宮筋の収縮作用を持つオキシトシン、プロスタグランディンのことで、陣痛の誘導、あるいは陣痛を強めて出産をコントロールする。もちろん重症妊娠中毒症、前期破水、過期妊娠、胎盤機能不全、子宮内胎児死亡など医療上の必要から陣痛促進剤が投与される場合もあるが、このようなケースはまれで、陣痛促進剤の使用は病院側の事情と言われても反論は難しい。

 陣痛促進剤を使用するときは、陣痛の周波や波型、胎児の心拍数をモニターする分娩監視装置をつけて十分な監視下で投与する必要がある。医師や助産師は陣痛や胎児の状況を監視しながら、1分間に3滴という微量から点滴しなければならない。胎児心音は1分間に140前後が正常で、120以下や160以上は危険で、特に100以下なれば緊急事態となる。

 通常の分娩では波のように陣痛がきて、小さな波が徐々に大きくなってゆくが、その合間には必ず間欠期がある。しかし陣痛促進剤を用いると、間欠期はなくなり子宮の収縮が持続的に強くなる。そのため過強陣痛、子宮破裂、頸管裂傷、早期胎盤剥離、弛緩出血などを引き起こす。また間欠期がないため胎児は酸素不足となり、胎児仮死、低酸素症による脳性麻痺、死産などが生じる。特に帝王切開を行ったことのある経産婦の場合に子宮破裂の危険性が高くなる。

 市民団体「陣痛促進剤による被害を考える会」の調査では、昭和45年から20年間で、子宮破裂で母親死亡、死産などの事故が51件起きていて、それでも氷山の一角としている。自然分娩では、母親のホルモンだけでなく胎児からもホルモンが出ていて、お互いの共同作業で子宮口が柔らくなるとされている。しかし陣痛促進剤は、子宮口が開いていなくても子宮を収縮させ、赤ちゃんの準備ができていないのに、無理に出そうとするので、赤ちゃんが圧迫され脳へ酸素が行きにくくなる。

 陣痛促進剤は有効な薬剤であるが、必要のない妊婦に多用されていた。現在では周産期医学は格段に進歩し、ほとんどの病院では分娩監視装置が備えられ、安全性が徹底され、陣痛促進剤による医療事故は少なくなっている。日本の周産期死亡率、妊産婦死亡率は世界一低いレベルであるが、出産というおめでたい日を悲惨な日にしないように、陣痛促進剤の使用には十分な注意が必要である。

 女性は出産を前に、雑誌、本、母親教室などで出産について勉強するが、陣痛促進剤についてはほとんどの本に書かれていない。また陣痛促進剤の使用について医師が説明していないケースが多い。