男性用カツラ

男性用カツラ 昭和47年(1972年)

 昭和47年4月6日、「私も使っています」という男性用のカツラの広告が読売新聞に初めて掲載された。モデルとなったのは、当時、第一生命保険に勤務していた金沢秀行で、カツラをかぶる前後の写真が紙面に掲載された。カツラは隠しておきたいのが男性の心理であるが、金沢は快く写真広告を引き受け、新聞広告も予想外に好評だった。

 新聞に続いて週刊誌、テレビへと広告は広がっていった。テレビで放映されたのは、カツラをかぶったタレントの南たかしが、娘に「パパ、行ってらっしゃい」と送り出されるほのぼのとしたコマーシャルで、電話番号「9696(くろぐろ)」とともに世の中に自然に溶け込んだ。これはアートネイチャーの宣伝であったが、時期を同じくしてアデランスもテレビ広告を放映した。アートネイチャーはロッテ・オリオンズの倉持明選手をモデルに採用し、明るく活動的なイメージと、激しい運動に耐えることをアピールした。これらのテレビ広告により男性用カツラは市民権を得たといえる。男性カツラ業界は、アートネイチャーとアデランスが約8割を占め、創立はアートネイチャーがわずかに先であった。

 明治学院大学を卒業した阿久津三朗は大正製薬に就職したが、不動産会社に転職し、そこでトップセールスマンとなった。昭和38年、成績優秀者として欧州旅行をプレゼントされた阿久津を驚かしたのは、薄毛の男性がヘアサロンに入り、フサフサの髪になって出てくる光景だった。欧州では男性カツラは当たり前だったのである。阿久津は大正製薬の営業部で、育毛剤を希望する男性の切実な悩みを思い出した。

 帰国した阿久津は、女性用カツラ・メーカー「ボア・シャポー」に就職。カツラの知識を得ると、昭和40年に日本初のオーダーメード男性用カツラの会社を創業した。会社の名前アートネイチャーは「自然な芸術」を意味していた。毎日、会社の窓から下を眺め、薄毛の男性を見つけると階段を駆け下り、家まで追いかけて営業を行った。当時、カツラは女性の専用だったので、営業のたびに「ばかにするな」と客に怒鳴られた。

 阿久津が勤めていたボア・シャポーには、根元信夫(27)、平川邦彦(31)、大北春男(26)も勤務していて、彼らも男性カツラの必要性を感じ、昭和43年にアデランスを設立した。アデランスとは、フランス語で「くっついている」を意味していた。これまでのように「カツラはかぶるのではなく、つける」という意味を込めた社名だった。以後、この2つの男性カツラ・メーカーは競うように新技術を開発し業績を伸ばしていった。

 当時のカツラは、すっぽりかぶる既製品だったが、次第に頭部の形状を型取りして製作するオーダーメードが主流となった。使用目的に応じ10秒で着脱できるタイプと、粘着剤を使用し薄膜を頭皮に張りつけて約1カ月間着脱なしで使えるタイプが考案された。個人によって毛の太さや長さなどが違うため、すべてオーダーメードとなった。

 カツラとは別に増毛法も登場した。増毛法とは自分の髪の1本1本の根元に1本から数十本の人工毛髪を接着する方法である。1回千本増毛するのに通常5万円、毛髪は毎月成長するので、人工毛を代えるため1カ月ごとに5万円が必要になった。増毛で間に合わない場合はカツラになるが、カツラの平均価格は50万円で、3年から5年でカツラを替える必要があり、修理などにも費用がかかる。カツラに使われる人工毛は、形状記憶素材のため。自然な毛並みで、自分でセットし、シャンプーも使うことができた。

 さらに自分の後頭部の健康な毛髪と皮膚を一緒に採取し、薄くなった部分に移植する方法が開発された。皮膚移植手術なので、高度な技術を必要し、費用は200万円から500万円であった。このほか人工的に作られた毛を頭皮に植毛する方法もある。さらに最新の技術では、頭部の無毛の部分に通気性に優れた極薄の特殊素材と毛髪素材を使用し、自然な発毛と思わせる方法も登場した。

 現在、日本の男性薄毛人口は成人男性の2割で1000万人を超えている。特に、20歳代からの薄毛が増えている。若者の多くは、洗髪、頭皮マッサージなどの育毛コースを利用するが、このコースが好評なのは、人気タレントを起用した明るいテレビCMによって、ファッション感覚の若者が増えたからである。育毛コースでは髪が生えるのでなく、髪の脱毛時期を遅らせるのが目的であった。また紫外線、ヘアカラー、パーマなどで傷んだ髪、細い髪質の改善を目的とした髪のエステもはやっている。髪が薄くなると育毛剤や養毛剤を買い求めるが、最終的にカツラになる人が多い。

 カツラはオーダーメードで、長期間使用するため値段が高いのが難点である。カツラ使用男性は100万人以上とされ、確かに街中では老人は増えたが、薄毛の男性を見ることは少なくなった。かつては大学でも頭髪の薄い学生がいたものだった。

 カツラは生活必需品なので不況とは関係なく、最近は若年の客が増加して業績を上げている。男性カツラは1000億円市場とされ、かつら業界は口コミで顧客が広がることは期待できず、広告宣伝が売り上げにつながっている。アートネイチャーがイメージキャラクターにさとう珠緒を起用したように、宣伝が最も重要な企業戦略となっている。

 アデランスは、やけど、けが、放射線治療などによる脱毛で、頭髪に障害がある200人の子供たちにオーダーメードのカツラをプレゼントする「愛のチャリティキャンペーン」を毎年行っている。昭和40年、全国で初めて男性用かつらの事業を始めた阿久津三郎は肝不全のため、平成7年7月19日、慶応大病院で死去、58歳だった。