一酸化炭素中毒殺人事件

一酸化炭素中毒殺人事件 昭和48年(1973年)

 昭和48年3月20日の早朝、山形市釈迦堂に住む農家の主婦(43)が一酸化炭素中毒で死亡した。練炭による一酸化炭素中毒死と思われたが、この事件は夫のYによって巧妙に仕組まれた保険金殺人だった。

 事件当日、夫から要請を受けた救急車が農家に駆けつけると、母屋の裏にある4畳半ほどのビニールハウスの中でYの妻が倒れていた。ビニールハウスでは椎茸が栽培されていて、その中央に練炭火鉢が2つ置いてあった。外傷がなく死因は一酸化炭素中毒とされ、事故死として司法解剖はされずに火葬された。

 ところが主婦の死亡から1年後、主婦の死は単なる一酸化炭素中毒ではなく、Yによる殺人とうわさされた。Yは死亡した妻に、年収とほぼ同じ額の保険金を払い、多額の生命保険を掛けていたのだった。山形市だけでなく、茨城、東京、大阪、岐阜など全国各地で生命保険に加入し、加入時には妻の替え玉の女性を使っていた。Yは妻の死後保険金8000万円を受け取っていた。

 当時の郵便局や保険会社では、コンピューターによる全国ネットは整備されておらず、他県の窓口で保険に加入すれば、何口でも入ることができた。ところがYは、なぜか保険金の請求をすべて地元の郵便局で行っていた。不審に思った職員が全国の郵便局を丹念に調べ、巨額の金額が支払われている事実をつかんだのである。このちょっとしたミスにより、完全犯罪が発覚することになった。

 巨額の保険金、短期間の加入、突然の死亡、このことから保険金目当ての殺人の疑惑が出てきた。捜査は極秘のうちに行われ、警察はYを保険金詐欺罪で逮捕した。

 Yは事件当時、商品相場に手を出し、株にも失敗して、多額の負債を抱えていた。殺人の動機は明確であったが、事故死とされた妻の遺体はすでになく、殺人の証拠はどこにもなかった。Yは保険金詐欺を認めたが、殺人については否定した。

 捜査陣は当時と同じビニールハウスを建てて実験を繰り返した。しかし、妻は一酸化炭素中毒で死亡したのに、何度実験しても練炭だけではビニールハウス内の一酸化炭素濃度は上昇せず、殺人だけでなく死因さえも証明できなかった。

 警察の聞き込み調査により、Yは偽名を使い、数カ所の薬局から硫酸などの薬品や試験管などを購入していることが分かった。それを裏付けるように薬局に残された明細書からYの指紋が検出された。さらに決定的だったのは、山形大学理学部から山形県警への1本の電話であった。理学部の教授が「Yが理学部の研究室を訪ね、合成した一酸化炭素から臭いを消す方法をしつこく尋ねた」と証言したのだった。一酸化炭素は無臭だが、化学的に合成した一酸化炭素には強い臭気が残るのだった。Yは合成した一酸化炭素の臭気を消す方法を山形大学の研究室に聞きに行っていたのだった。

 山形大学理学部の情報を突きつけられたYは殺害を自供した。Yは生命保険殺人を成功させるため、生命保険の契約と同時に化学の本を買いあさり、完全犯罪の研究を始めたのである。硫酸とギ酸を混合すると100%の一酸化炭素を合成できることを知ったが、ギ酸は一般の薬局では入手できなかった。Yは試験管やフラスコを買い、ひそかに実験を繰り返し、シュウ酸と硫酸を加熱して50%の一酸化炭素と50%の二酸化炭素を精製、50%の二酸化炭素を苛性ソーダで取り除く方法を見出し、高濃度の一酸化炭素の精製に成功したのである。しかし、強い臭気を消すことができず、そのため山形大学理学部に助言を求めたのだった。

 脱臭方法は理学部でも分からなかったが、研究熱心なYは冷蔵庫の脱臭剤を利用することを思いついた。高濃度の一酸化炭素をビニール袋に入れ、冷蔵庫の脱臭剤を用いて無臭化することに成功。ネズミを用いた実験では、即死に近い結果を得た。

 Yはビニールハウスを建設。実際に椎茸の栽培を始めて、保険金殺人の計画を進めていった。Yは偽装殺人のために、防塵(ぼうじん)マスクを2つ準備した。

 事件当日の3月20日の深夜、Yは「ビニールハウスの様子がおかしい」と寝ている妻を起こし、一緒にビニールハウスに行った。そして「一酸化炭素中毒にならないように」と言って、防塵用のマスクをつけ、妻にもマスクをつけさせ、妻がマスクをつけると同時に、マスクにつけてあったエチレンの袋のひもを外し、高濃度の一酸化炭素を吸わせた。妻は数秒で気を失いその場に倒れた。Yは妻のマスクをはずすと、ビニールハウスの戸を閉めたまま1時間放置し、死亡を確認して救急車を要請した。

 東北大学法医学教室と山形県警は、Yの自供通りの方法で一酸化炭素が精製できること、精製した一酸化炭素は数秒で即死する濃度であることを証明した。Yは第1審で無期懲役の刑を受け、控訴せずに服役した。自家製の一酸化炭素による殺人事件は、世界で初めてのことであった。

 一酸化炭素中毒はそれほど珍しいものではない。狭い部屋での練炭の使用、ガスストーブ、ガス湯沸かし器のつけっぱなしなど、数多くの事故が毎年繰り返されている。また車庫の中でエンジンをかけたまま、排ガスによる一酸化炭素中毒が多い。かつての都市ガスには数%の一酸化炭素が含まれていて、都市ガスによる事故や自殺も多かった。

 一酸化炭素を吸うと、一酸化炭素がヘモグロビンと瞬間的に結合。一酸化炭素とヘモグロビンの結合力は酸素の約250倍で、そのため必要な酸素を体内に供給できなくなる。体内の細胞が酸欠状態になり、数秒で窒息死状態になるのだった。

 一酸化炭素は、無色、無味、無臭の気体で中毒を予知することはできない。軽度の中毒では頭重、頭痛、疲労、倦怠(けんたい)感、めまい、悪心などの症状をきたすが、一酸化炭素の濃度が50%以上になると瞬間的に意識を失い死亡する。治療は高濃度酸素の投与、呼吸管理と全身管理であるが、治療よりも一酸化炭素状態からの脱出である。