生ガキの食中毒

生ガキの食中毒 昭和41年(1966年)

 昭和41年12月、広島産のカキ(酢ガキ)による下痢症が11都府県で発生し、その患者数は1596人に及んだ。このため東京都衛生局は、広島産のカキ約3000缶を生食禁止とした。カキ中毒の症状は食後24〜28時間後に軽度の腹痛、激しい嘔吐と下痢で始まった。大規模の食中毒事件であったが、幸いにも死者は出なかった。

 食中毒の起因菌について、国立衛生試験所、東京都衛生研究所、広島県衛生研究所が検査を行ったが、いずれも特定できなかった。当時、カキ中毒の原因は不明で、人口の集中、公害の増大、下水処理の立ち遅れによる水質汚染が関係しているとされていた。

 国はこの事件をきっかけに国内向け生ガキについて、「生食用カキの成分規格加工基準、保存基準」を設定した。規格基準では一般細菌数5万/g以下、大腸菌230/100g以下、カキの採取は大腸菌群70/100mL以下の海域で採取されたものとした。さらに容器には「生食用」「調理加熱用」と明示することが義務づけられた。

 カキに当たるという表現があるが、生ガキによる食中毒の原因は、細菌ではなくウイルスであることが分かったのは比較的最近のことである。原因ウイルスは昭和47年に発見され、小型球形ウイルス群SRSV(Small Round Structured Virus)と呼ばれた。その後、平成15年8月29日に食品衛生法が改正され、小型球形ウイルス群はノロウイルスと名称を変えた。

 海中のカキは1時間に20リットルの海水を吸い込み、海水に含まれるプランクトンをえさにしている。海水温度の高いときは、カキは新鮮な水を活発に出し入れするので、ウイルスはカキの体内には滞らない。しかし水温が低くなると、カキの活動が鈍り、海水の出し入れが少なくなり、ウイルスがカキの中腸腺に滞ることになる。

 このためノロウイルスによる食中毒は冬期に発生することになる。ノロウイルスはカキだけでなく二枚貝(アサリ、ホタテ、ハマグリなど)にも蓄積されるが、二枚貝を生で食べる習慣がないため、二枚貝による食中毒は少ない。

 11月から3月にかけてカキはおいしくなるが、それはカキのうま味であるグリコーゲンが冬に増えるからで、海のミルクとも呼ばれるほど栄養価は高くなる。一般に食中毒は冬に少ないが、生カキは例外で冬に多い。それはノロウイルスの体内蓄積とカキのおいしい時期が一致しているからである。殻からカキを出すと黒く見えるところがあるが、この部分にウイルスが濃縮して存在している。

 カキの食中毒はカキの生息海域がノロウイルスに汚染されているかどうかで決まる。ノロウイルスはカキにとっては毒でも餌でもなく、たまたまノロウイルスがいる海水を吸いこんで体内に貯めているだけである。ノロウイルスはカキの体内では増殖しないので、カキの食中毒はカキの新鮮度とは関係がない。中毒はノロウイルスの蓄積の有無だけなので、そのためカキがどこの海域で採れたのかが重要となる。

 ノロウイルスはヒトの由来のウイルスで、ヒトの腸管で増殖し、糞便とともに排出される。ウイルスが河川に、河川から海へ流れ、海水をカキが吸い込み、カキの体内でウイルスが蓄積される。つまり生ガキの食中毒は、養殖業者や調理者が悪いのではなく、生活排水の処理がウイルスに不十分であることを示している。つまりカキの食中毒はヒトの糞便で汚染されたことを意味している。

 カキの食中毒は海外でも発生している。1968年にアメリカ・オハイオ州のノーウォークで生ガキの集団中毒が発生し、1972年には病原ウイルスが初めて同定され、2002年の学会で小型球形ウイルス群はノーウォーク様ウイルス Norwalk‐like viruses(NLV)と名づけられた。

 アメリカのNLVによる胃腸炎はこれまで患者数2300万人、入院患者5万人、死者310人を出している。欧米でNLVをノロウイルス(Norovirus)と総称していることから、日本でもノロウイルスと呼ぶようになった。

 ノロウイルスは、人間の小腸で増殖し感染性胃腸炎を起こす。食中毒全体の10数%を占め、潜伏期間は1日から2日で、症状は腹痛、嘔吐、下痢、38℃以下の発熱などである。ノロウイルスに感染しても全員が発症するわけではなく、風邪程度の症状ですむ場合もあり、通常は3日以内に回復する。抵抗力が落ちている人、乳幼児では数百個程度のウイルスでも発症することがある。

 ノロウイルスは平成9年に食中毒原因物質に指定され、現在第4類感染症に分類されている。このウイルスは酸、アルコール、塩素に抵抗性があり、培養できないのが特徴である。また動物実験ができないことから、詳しい解析はなされていない。殺菌は60℃、30分では不十分で100℃の加熱が必要である。つまりカキの調理は中心部まで十分に加熱することである。

 生のカキ中毒を予防するには、多量に食べると体内のウイルス量も多くなるので2、3個でやめることである。現在、生ガキは食品衛生法により海水中の細菌数が基準以下の海域で養殖されたものであるが、体調が悪いときや過労時は生ガキの摂食は避けるのが賢明である。

 一般的に、食中毒の予防には調理人はよく手を洗浄し、マスクや手袋の着用が奨励されているが、生ガキの中毒だけは例外で、予防を尽くしても発症は避けられない。

 生ガキの養殖では、海水中の細菌数が一定基準を満たしている海域で、かつ紫外線で殺菌した海水をシャワー状にカキに注いで滅菌処理を行っている。この浄化システムによってカキが海で蓄積した細菌やノロウイルスを体外に排出させることができる。

 現在、生で食べられるカキには「生食用」と表示され、採取海域名が記載されている。記載されていないものは加熱調理用なので生では食べないことである。また賞味期限を守り、表示されている温度以下で保存し、早く食べることである。なお加熱用は基本的には取れたままの状態なので、コクやうまみは生ガキより多く、火を通して調理する場合は加熱用の方が味は良いのである。

 平成13年2月7日、仙台市青葉区一番町の飲食店で殻付きカキを食べた大学生32人が食中毒症状を訴え、飲食店は3日間の営業停止となった。このように生ガキによる集団食中毒は現在でも全国で散発し、生ガキを出した飲食店が営業停止になるのが常である。しかし生食用のカキを期限内に出している飲食店は、運が悪いだけで食中毒の予防は不可能である。ノロウイルスは生ガキの新鮮度とは関係ないので、飲食店への営業停止処分は酷と思われる。