千葉大採血死亡事件

千葉大採血死亡事件 昭和44年(1969年)

 昭和44年4月27日、献血のため千葉大医学部付属病院を訪ねてきた千葉県八街町(現在は市)に住む酒類販売業・杉井陽太郎さん(32)が、採血ミスのため心肺停止となった。杉井陽太郎は全くの健康人で、入院している知人に輸血をするために病院を訪れたのに、杉井さんの若い生命は看護婦の不手際によって奪われてしまった。

 杉井陽太郎さんの採血に当たったのは、千葉大第二内科の無給医局員の医師と看護婦(23)の2人だった。医師は杉井さんの左腕静脈にいつものように注射針を刺した。注射針には採血用のチューブがついていて、看護婦は採血をするためチューブを電気吸引器にセットした。

 献血では採血量が多いため吸引器を用いて血液を引いていた。そしていつものように杉井さんから採血が行われるはずであったが、看護婦は採血のためのチューブを吸入口ではなく、反対側の噴射用の口につないでしまったのである。

 電気吸入器は、採血や痰を引くための吸入(減圧)口と、薬品を噴射するための噴出(加圧)口があり、一台で減圧と加圧の両方の機能を備えていた。例えていうならば、電気掃除機の構造と似ていた。吸入口に採血用チューブをつなぐべきなのに、排出口にチューブをつないでしまったのである。

 機械のスイッチを押すと同時に約200ccの空気が静脈に逆流した。この事態に慌てた看護婦は、腕に巻いていたゴムの駆血帯をほどいてしまい、杉井さんの体内に空気が一気に注入されてしまった。空気は肺から脳に達し、杉井さんは瞬時に意識を失い、けいれんを起こして心肺停止となった。

 そばにいた医師は直ちに針を抜き、心臓マッサージを行った。必死の心肺蘇生により杉井さんの心臓は再び鼓動を取り戻したが、意識は戻らなかった。脳波は停止したまま、血圧、脈拍、体温は正常人とほぼ同じ状態で、いわゆる植物人間となった。看護婦の寝ずの看病、病院側の懸命な努力にもかかわらず、事故から41日後の6月7日、杉井さんは死亡した。

 この医師と看護婦の2人は業務上過失致死罪で起訴され、看護婦の単純なミスが引き起こした医療事故として終わるはずであった。ところが裁判の過程で、看護婦はこの採血死亡事件の裏に隠れた、医療が抱えているゆがんだ現状を次々に暴露したのである。

 看護婦は杉井さんを死を自分の非と認めたが、同時に大学の医療そのものを非難する内容を暴露したのである。無用の心臓カテーテル検査で心臓破裂を起こし死亡させた事例などを挙げ、「医師が研究のために患者の治療を二の次にした。そのため患者が犠牲となった事件が過去に何度も起きている」と裁判で証言した。看護婦は「大学病院のでたらめな医療が同時に裁かれなければ、自分の罪を償うことはできない」と主張したのである。

 次に看護婦が訴えたのは、危険な医療機器を納入した大学病院の責任についてであった。医療機器は厚生省の許可が必要なのに、問題の吸引機は厚生省の許可は受けておらず、市内の機械屋が試験的に置いていったものであった。また自分だけでなく、この吸入器によって他の看護婦も同様の事故を起こしそうになったと証言した。

 次いで、<1>大学病院では他にも多くの医療ミスがあり、大学側がそれらを隠していた<2>事故当時ほとんど休みがなく、働きずくめの状態で、過酷な勤務を強いられ、ミスをしても不思議でないような労働環境にあった<3>身分の保障のない無給医局員の問題などを主張した。

 看護婦は自分の非を認めながら、自分の過失だけでなく病院の体質が生んだ事故、過労が引き起こした事故と主張したのだった。看護婦は大学病院の体質を変えることが罪滅ぼしとしたのである。看護婦を擁護するグループが立ち上がり、日本の医療、大学病院の医療が抱える問題が指摘され注目を集めることになった。

 しかしこの看護婦を擁護したのは反戦看護グループだったこともあり、看護婦の主張は責任を大学病院に転嫁するものと批判され、過失裁判を政治裁判にすり替えようとする法廷戦術ととらえられた。この医療過誤事件は、大学病院の医療の実態が暴露されたことで世間の注目を集めたが、結局、禁固10カ月、執行猶予2年の判決が下された。

 この刑事事件の追及とは別に、採血死亡事件で死亡した杉井さんの遺族は、国に1億6000万円の損害賠償を求める民事訴訟を起こし、千葉地裁佐倉支部は被告の国に1億2000万円の支払いを命じる判決を下した。国は控訴し、昭和47年3月31日、東京高裁で3584万円の賠償が決定した。事実関係は何も変わらないのに1審と2審で命の値段が3倍も違っていた。