東北大学「人体実験」訴訟

東北大学「人体実験」訴訟 昭和44年(1969年)

 昭和44年の暮れごろから、山形県天童市に住む黒沼正五郎さん(45)が両下肢に力が入らないことが数回あった。そのため東北大学付属病院第二内科を受診、担当医は体重減少、手の震え、動悸、眼球突出からバセドー病と診断した。

 バセドー病とは甲状腺機能亢進症のことで、甲状腺ホルモンが過剰に分泌されるために起きる疾患である。甲状腺ホルモンは身体の新陳代謝を活発にするホルモンで、甲状腺ホルモンが過剰に分泌されるバセドー病の患者は一見、生き生きと元気そうに見えるが、安静時でも走っている時と同じくらいのエネルギーを消費する。

 そのため疲れやすく、動悸、手の震えなどがこの病気の症状で、放置すれば心不全で死亡する。幸いにもバセドー病には特効薬があるため死に至ることは極めてまれとなっている。

 黒沼さんは両下肢の脱力を周期的に起こしていたが、この症状はバセドー病の合併症である周期性四肢麻痺によるものであった。四肢麻痺はその病名のごとく、四肢の麻痺が周期的におきる病気で、バセドー病40人に1人の割合で起きることが知られている。

 昭和45年3月17日、黒沼さんはバセドー病の治療のため東北大付属病院第二内科に入院。バセドー病の治療として甲状腺にアイソトープを照射して甲状腺の機能を抑制する治療方針がとられた。周期性四肢麻痺は血液中のカリウムが高値で起きる場合と、低値で起きる場合があり、脱力発作時のカリウムを測定すれば分かることであるが、黒沼さんは入院中に1度も発作を起こさなかった。

 血液中のカリウムが高値の場合と、低値の場合では治療法は全く逆となる。そのため担当医は甲状腺の専門医である村田輝紀医師に、四肢麻痺を一時的に誘発する「インシュリン・ブドウ糖負荷試験」を依頼した。インシュリン・ブドウ糖負荷試験とはインシュリンを投与して血中のカリウム濃度を低下させ、発作を誘導する試験で、患者さんの同意を得て実施した。

 インシュリン・ブドウ糖負荷試験は学会でも認められている検査法で、麻痺が誘導できればその病態が明確になるはずであった。ところが負荷試験を行った結果、黒沼さんは全身の麻痺状態をきたし、4月13日に心停止を起こして死亡したのだった。

 村田医師は「四肢麻痺は脳圧降下剤マンニトールで改善できる」という自らの仮説を証明するため、麻痺を誘発するインシュリン・ブドウ糖負荷試験を実施し、負荷試験後にマンニトールを注射して麻痺の改善を見届けようとした。しかし黒沼さんは負荷試験の段階で全身麻痺をきたし、心臓に異常を起こし死亡したのである。死亡診断書には急性心停止と書かれ、原因欄は空欄のままであった。

 黒沼さんが死亡して1年後にこの事件が発覚した。東北大付属病院第二内科・鳥飼龍生教授が定例の症例検討会でインシュリン・ブドウ糖負荷試験により黒沼さんが亡くなったことを発言したことがきっかけであった。当時、大学病院の研究至上主義に反対していた医局改革運動に参加していた若手医師たちは「東北大学・鳥飼内科人体実験を告発する会」を結成した。

 また遺族にも教授は誠意ある態度はみせなかった。そのため黒沼さんの妻、京子さんらは「治療上不必要なうえ、危険な負荷試験をしたのは、大学病院の研究至上主義に基づく人体実験」として、昭和48年に総額5180万円の損害賠償を求めて提訴した。

 この裁判は「人体実験訴訟」として注目を集めた。人体実験という言葉は、患者の人権を無視した非道な行為をイメージさせるが、インシュリン・ブドウ糖負荷試験は一般的に認められた検査法であった。

 昭和52年11月、仙台地裁は、担当医師が患者の症状を十分に監視せず、症状が悪化した段階で回復措置を講じなかったとして、医師としての注意義務を怠ったとして、国に総額3570万円の支払いを命じたが、「人体実験」については「証拠がない」として原告の主張を認めなかった。控訴審では遺族側が「単なる医療過誤ではなく、大学病院特有の研究至上主義を背景にした非人道的な生体実験である」と主張した。被告側は、当時インシュリン・ブドウ糖負荷試験による死亡例はなく、昭和45年当時の医学水準では妥当なもので、マンニトールは実際には投与していなかったと反論した。控訴審判決では担当医師の過失を認めたが、人体実験については訴えを退けた。控訴審では損害賠償額を約700万円増額して約4270万円とした。

 東北大などの大学医学部は、診療と同時に研究、教育の使命がある。この研究をしていた村田医師は、「麻痺の診断を確定し、治療方法を確かめるための検査方法である」と主張した。 村田医師は負荷試験実施の際、黒沼さんから承諾を取ったと法廷で証言したが、判決では「日常的な診療行為について、医師は患者から事前に包括的な同意を与えられている」としただけで、本人承諾の有無は認定外とした。

 患者の人権を守るため、世界の医師が集まって1964年に採択した「ヘルシンキ宣言」では、「医学の進歩のためには人体実験も必要」とし、その際は、「研究内容が科学的客観性に裏づけられたもので、実験内容の妥当性を客観的に保障する手続きが必要」としている。

 判決でも「人体への害がないように医療関係者がその職業倫理に基づき妥当な基準を設定し、順守することが必要」としている。患者の承諾を得て検査を行う場合は、欧米先進諸国で行われているような基準設定などの手続きが必要であるとした。

 原告側は仙台高裁控訴審判決を不服として最高裁に上告した。この裁判は最高裁まで20年間争われ、慰謝料の増額と、東北大学医学部長と病院長の謝罪で決着がついた。この事件は人体実験訴訟と呼ばれたが、人体実験という言葉が独り歩きした印象が持たれた。