夢の島と東京ごみ戦争

夢の島と東京ごみ戦争 昭和40年(1965年)

 昭和40年6月、東京の江東区南砂町一帯にハエの大群が押し寄せ大騒動となった。南砂町の商店街にはハエが群がり、民家の天井を黒く覆った。住民は振り払っても顔にたかられ、夜も眠れない状態になった。この突然現れたハエの大群は海を隔てた「夢の島」から飛んできたのだった。

 夢の島とは、東京湾沖合に造られた東京のごみ捨て場のことである。東京都のごみのほとんどが夢の島に持ち込まれ、ハエにとってえさは無尽蔵で、天敵がいないのだから増えないはずはなかった。このハエ騒動が起きるまでは、ハエの活動半径は40m以内が定説であったが、この定説をあざ笑うかのようにハエは海を越えて飛んできた。住民たちは夢の島を「悪魔の島」と呼んだ。

 その当時、日本の魚屋の店先や食堂には、ハエ取り紙がヒラヒラとぶら下がっていた。ハエ取り紙は黄色い粘着テープで、一般家庭でも見ることができた。江東区の家々ではこのハエ取り紙をぶら下げても、1時間もするとハエでいっぱいになり、小学校の給食時にはPTAがハエ取りに駆り出された。

 このハエの大量発生による伝染病が心配され、東京都清掃局、衛生局、江東区は共同でハエ撲滅対策本部を設け、ハエの駆除に乗り出した。佐藤栄作首相が「全力を挙げてハエを撲滅するように」と厚生大臣に指示を出したほどである。

 昭和40年7月16日、タンクローリー5台分の重油がごみの山にかけられ、ハエの焼き払い作戦が行われ、さらに大量の有機リン系殺虫剤を繰り返し散布してハエの絶滅を図った。ところが夢の島のハエはしぶとかった。殺虫剤に対して通常の2000倍にも達する驚異的な薬剤抵抗力を獲得し、ハエは不死身となって増え続けた。

 東京都は薬剤抵抗性のハエをなくすため、複数の殺虫剤を1年ごとに変更して散布する作戦を取った。この方法により薬剤抵抗性のハエの発生を抑え、ごみの表面を土で覆うサンドイッチ方式で、ハエの撲滅作戦は次第に成果を上げていった。

 江東区の夢の島には東京23区の7割、毎日9000トンのごみが持ち込まれていた。そのためにハエの大量発生だけでなく、同区の一部では悪臭が漂い、自然発火による火災が相次ぎ、煙と灰が江東区民の頭上を流れた。被害を受けた江東区民は、他区から持ち込まれるごみを拒否するため、「江東区だけがごみ公害の吹きだまりにされるのは御免」と声明を出した。江東区は美濃部亮吉・東京都知事に「各区はごみの自区内処理。処理と迷惑の公平な負担」の2原則を求め、各区のごみは各区で処分することを要請した。

 ほとんどの区では江東区の要請を受け、区内にごみ処理場の建設計画を進めることになった。ところが夢の島から約20キロ離れた杉並区だけはごみ処理場の建設計画を進めずにいた。昭和48年、ここに「東京ごみ戦争」が始まった。

 昭和48年5月18日、東京都は杉並区でごみ処理場建設の説明会を開いたが、建設反対派が乱入し、説明会は中断となった。これを「杉並の住民エゴ」と怒った江東区議会は全会一致で杉並区からのごみの受け入れを拒否することを決定。ヘルメット、防災服で身を固めた区長、区議、町会役員ら180人が道路に並び、杉並区からのごみ運搬車の立ち入りを実力で阻止した。

 このため5月22日から杉並区ではごみ回収が中止されることになった。杉並区はごみを出さないように各家庭に通知したが、杉並区の住民は路上にごみを捨て、5月の陽気で生ごみは悪臭を放った。これでは「杉並エゴ」といわれても仕方がなかった。杉並区は消毒車を出動させ、路上のごみに消毒液をまいた。

 「東京ごみ戦争」この物騒な言葉がマスコミをにぎわし、江東区と杉並区は対立したが、孤立した杉並区は区長がごみ処理場建設を約束して収集がついた。それにともない杉並区ではごみの回収が再開されたが、放置された2000トンのごみを処理するのに10日以上かかった。

 この東京ごみ戦争から9年後の昭和57年、杉並区高井戸に日本最大級のごみ処理施設が完成。杉並区の可燃ごみのすべてが処理するようになったが、杉並区内のごみの量はさらに増え、現在では杉並区から出されたごみの一部は隣接する世田谷区の処理場に持ち込まれている。

 東京ごみ戦争を境に、ごみ処理は「埋め立て地から焼却場」に代わったが、焼却場にも限界があった。資源の有効利用、リサイクルシステムの確立が課題となっている。

 現在の夢の島は広大な公園として整備され、当時の面影はない。「夢の島」の名前は、ごみ捨て場の悪いイメージを意図的に隠すためと思っている人が多いが、夢の島は戦前からの地名で、都民のごみを埋め立てて、ハワイに匹敵する保養地にすることが計画されていたのである。現在、夢の島はそのイメージに近い公園になっている。ところで東京都心の山といえば港区の愛宕山(26m)、上野のお山(23m)が知られるが、都心部で最も高い山は東京湾内の夢の島である。埋め立て地は「チリが積もった標高30mの山」となっている。