高嶋象山殺害事件

【高嶋象山殺害事件】昭和34年(1959年)

 昭和34年11月24日午後9時頃、東京都千代田区神田鍛治町にある高嶋易断本部に若い男性が訪ねてきた。高嶋象山さん(71)の長男の璋さん(40)が応接室で話をしているうちに口論となり、男性はセーターの下に隠し持った刃渡り17cmの出刃包丁を振りかざし、璋さんの右胸を切りつけた。

 悲鳴を聞いて高嶋象山さんが飛び出してくると、男性は象山さんの腹部を刺した。すぐにお手伝いさんが110番して警察が駆けつけ、男性は傷害の現行犯で逮捕された。被害者の璋さんは負傷を負って順天堂大学病院に収容され、3週間のけがと診断された。一方、腹部を刺された高嶋象山さんはお茶の水日大病院で手術を受けたが、翌未明に出血多量で死亡した。

 犯人は兵庫県西宮市の男性(24)で、高嶋易断の理論を研究していたが、易断と心霊術を混同して心霊術ノイローゼになっていた。

 殺害された高嶋象山さんは占い師として有名で、高嶋易断を創始した人物である。高嶋易断は、戦時中は出兵兵士の安否の判断、戦後は景気予想などで信者を増やしていた。高嶋象山さんという易者のトップが、自分を殺しにくる者を予想できなかったとして話題になった。