黄害

【黄害】昭和39年(1964年)

 JRが国鉄と呼ばれていた時代、列車の便器から下をのぞくと、地面が間近に見え、枕木が飛ぶように過ぎ去っていった。当時の列車のトイレは、糞尿をそのまま列車外に落下させる開放式だった。糞尿を風圧によって粉砕する方法で、そのため列車が停車している間、列車が都市部を走行中は、トイレは使用禁止とされた。列車が動き出すまで脂汗をにじませながらトイレの前でじっと待っていた人も多かった。この走行中に落下飛散した糞尿が周辺に飛び散り、住民、乗客、保安要員の健康への影響が懸念され、「黄害」として問題となった。

 開放式トイレからタンクにためる閉鎖式のトイレが登場したのは、昭和39年の東京オリンピックと同時に開業した東海道新幹線だった。列車の床下にタンクを設けて糞尿をため、列車が車両基地に戻ったときに抜き取る方式である。このタンク方式は、抜き取り処理が煩雑だったため、在来線の長距離列車には採用されなかった。

 在来線では、消毒液と糞尿を一緒に流す循環方式に徐々に切り替えられていった。この循環方式は、洗浄した汚物だけをためる方式で、洗浄水は殺菌処理後に再び使用された。あのペダルを踏んで青い液体が流れる方式である。国鉄からJRになった後もこの方式はローカル線で採用された。そして最後まで残っていたJR北海道の開放式トイレも、平成13年にタンク方式になった。

 東海道新幹線から40年近くなって垂れ流し方式は完全に廃止となり、平成9年頃からはバキューム方式が採用された。これは少量の水とともに汚物をにおいもろとも真空で吸引する方法で、タンクの容量が少なくて済むのが特徴である。それまでの列車のトイレは狭くて不安定だったが、最近では車いすでも利用できるようにスペースが広がり、内装もきれいになり、列車トイレのイメージは大きく変わった。かつての列車のトイレが懐かしく思えるほどである。