赤痢ワクチン禍


【赤痢ワクチン禍】昭和30年(1955年)

 昭和30年5月24日、東京都北多摩郡砂川町(現・立川市)の砂川小学校(生徒数823人)と、同郡村山町(現・武蔵村山市)の村山小学校第1分校(生徒数361人)で赤痢ワクチンの注射が行われた。

 このワクチンの接種から数時間後の夕方から、500人の生徒たちが発熱、嘔吐、ひきつけなどの副作用を訴えた。翌25日、砂川小学校では欠席者102人、早退者109人、村山小学校第1分校では欠席者76人、早退者213人が出た。学童たちは発熱などの症状を示したが、症状は軽度で全員が軽快した。

 立川保健所が両校で行った赤痢ワクチンは、東京都が初めて採用したクローム・ワクチンであった。赤痢ワクチンはかつて日本陸軍で使用されたことがあったが、副作用が強いため中止されていた。しかし昭和27年、国立予防研究所の安東博士によって赤痢ワクチンの改良がなされ、クローム・ワクチンとして再登場となった。

 クローム・ワクチンとは、赤痢菌をクローム塩類で処理し、酸性の状態にしたワクチンのことで、このクローム・ワクチンはそれまで約10万人に投与され、副作用のないワクチンとして知られていた。もちろん今回のワクチンは国家検定をパスしたものであった。

 今回、問題を引き起こしたワクチンは、ワクチンの製造は同じであったが、投与法が従来とは違っていた。厚生省の指導で、それまでの皮内注射から皮下注射に変更したのであった。東京都衛生局は投与法が変更されたので、安全性を考慮して従来の半分の量を接種したが、それでもこの被害を出したのである。

 このワクチンによる被害は、ワクチンの投与法の変更が原因であったのか、あるいはワクチンの品質が悪かったのか明らかではない。本当の原因は不明だが、赤痢ワクチンは中止され、製造されていた30万人のクローム・ワクチンは破棄されることになった。この事件以降、赤痢ワクチンの接種は行われていない。