赤チン

【赤チン】昭和39年(1964年)

 当時の子供たちは、近所の路地や原っぱで夕日が沈むまで遊んでいた。半ズボンの子供たちははしゃぎ回り、よく転んだが、転んでひざ小僧を擦りむいたりしたときに活躍したのが赤チンであった。

 赤チンはガキ大将のシンボルで、また子供が転べば近所の誰かが赤チン持ってきてくれた。赤チンを塗った後、傷口にフーフーと息を吹きかけ、乾かしたものだった。「赤チンをつけて飛び出す風の中」、「赤チンがキラキラ光るひざ小僧」という川柳があった。

 赤チンは、「赤色のヨードチンキ」の略で、家庭の救急箱や小学校の保健室にも「赤チン」だけは置いてあった。宝くじの景品として赤チンが出された時代もあった。最盛期には、全国で80社余りのメーカーが赤チンを製造していたが、あの赤チンはいつしか姿を消してしまった。

 赤チンの成分はマーキュロクロム(有機水銀化合物)液を精製水に溶かしたもので、大正8年、W・ヤングによって開発された殺菌・消毒薬で、日本では昭和14年に「日本薬局方」に掲載され、戦後になって急速に普及した。

 この赤チンが大打撃を受けたのは水俣病であった。赤チンは無害であったが、有機水銀による水俣病が問題になると、製造過程で水銀を出す悪いイメージがつくられてしまい、マキロンなどの新しい殺菌消毒薬が大々的に宣伝され、赤チンは日本から消えていった。

 最近では、擦り傷にはスプレータイプの「マキロン」、「バンドエイド」が家庭の必需品となっている。「赤チン」は現在でも「マーキュロクロム液」として売られているが、生産量はごくわずかである。赤チンは懐かしい昭和の遺産といえる。