病院火災

【病院火災】昭和30年(1955年)

 昭和30年6月18日午前1時20分頃、千葉県市川市国府台の式場精神病院で火災が発生。男子第1監禁病舎のトイレから出火した火事は瞬く間に燃え広がり、式場精神病院の監禁病舎など5棟を全焼した。

 第1監禁病舎には重度の精神病患者が多数入院していて、鍵のかかった鉄格子の監禁部屋の患者は鍵を開けることができずに焼死した。入院患者158人のうち19人が焼死し、遺体の多くは監禁室に閉じこめられたまま鉄格子にすがるように倒れていた。狭い監禁部屋には便座のないトイレがあるだけで、机もなければ洗面台もなかった。牢獄以下の様子が精神病院の痛々しい現実を物語っていた。

 式場精神病院は幹線道路から3キロ離れていて、病院への道は狭く消防車は身動きがとれなかった。水の便も悪く、約1時間40分で建物は原形を残さないほどに焼き尽くされてしまった。火事の原因は漏電とされている。

 同年6月26日には、東京都練馬区にある慈雲堂病院(精神病院)から出火、医局や診察室、薬局などを焼く火災があった。入院患者800人は、避難訓練が功を奏して全員無事であった。病気を治すための病院における火災は悲惨であるが、そのほか多くの犠牲者を出した病院火災を列挙すると。

 昭和22年11月27日午前3時45分、新潟県高田市の高田脳病院から出火4棟が全焼。67人の患者のうち8人が死亡、13人が不明となった。火災の原因は患者による放火であった。

 昭和35年1月6日午後9時5分頃、神奈川県横須賀市小矢部町の社会福祉法人・日本医療伝道会・衣笠病院から出火。火元は木造2階建ての本館1階の産婦人科室付近で、本館、病舎など3棟を全焼、さらに裏山にも延焼。この火災で入院していた新生児や看護婦など16人が死亡、10人が負傷した。原因は助産師が石油ストーブの芯を上げたまま部屋を出て、ストーブの火が周囲に燃え移ったことだった。衣笠病院は昭和18年に海軍病院として建てられ、昭和22年に払い下げられて衣笠病院と名前を変えていた。内科、外科、小児科、などの科を有するベッド数131の総合病院で、被害を大きくしたのは建物が老朽化していたこと、廊下に油を塗り込んでいたため燃えやすかったこと、防火壁がなかったことなどが重なったためであった。

 昭和35年3月19日には、福岡県久留米市の国立療養所精神科から出火し3棟が焼失、11人が死亡している。昭和45年6月29日、栃木県佐野市の秋山会両毛病院で放火により17人が死亡。昭和48年3月8日未明、北九州市の福岡県済生会八幡病院で鉄筋5階建ての1階から出火し、13人が死亡60人が負傷している。原因は蚊取り線香の不始末とされている。さらに、昭和52年5月13日には、山口県岩国市の岩国病院で7人が焼死する火災が起きている。