帝国ホテルで集団赤痢

【帝国ホテルで集団赤痢】昭和38年(1963年)

 昭和38年5月25日、東京・帝国ホテルの従業員2人が真性赤痢に罹患していることが判明。ホテルの従業員の検査が行われ、27日には赤痢患者は27人となり、赤痢の集団発生であることがわかった。

 患者は従業員だけで宿泊者に感染者はいなかった。そのため従業員の食堂に納入されている食材が原因とされ、食材を納入している業者を調べた結果、納入業者2人から赤痢菌が検出された。しかし納入業者2人は納入時にホテルで食事をしており、赤痢菌を持ち込んだのか、赤痢菌に感染したのかは不明であった。

 帝国ホテルは日本を代表するホテルである。ホテルにおける集団赤痢は、帝国ホテルが日本で初めてのことであった。宿泊者の1割は外国人で、その中にはインドネシアのスカルノ大統領もいたが、大統領は「わしはここを動かない」といって、ホテル関係者を感動させた。宿泊者600人は他のホテルに移動した。

 帝国ホテルは、国鉄の食堂も担当していたが、列車で食事を取った2人が疑似赤痢で入院となった。また帝国ホテルの従業員の家族も二次感染で入院となった。そのため国鉄の食堂は日本食堂と新大阪ホテルに振り替えられた。

 昭和38年6月3日の時点で集団赤痢患者は保菌者を含め214人に達した。最後まで宿泊していたスカルノ大統領も帝国ホテルが営業停止になったので、他のホテルに移ることになった。その当時、日本は世界で最も清潔な国として知られていた。最高級のホテルである帝国ホテルの集団赤痢事件は、東京オリンピックを翌年に控え関係者をあわてさせた。